恵方サンド

2007年2月4日
冷蔵庫の置いてあるあたりを向き、あり合わせの具を巻いた太巻きを食べる。右隣に座っていた長女(18)がばっちり視界に入っている。乙女ちゃんは、なんの願を掛けているのか知らないが「ひとことも話すまいぞ!」という気迫に満ちている。顔の形が変わるほど寿司を頬に詰め込んでいる長女を見ていたら、もうおかしくておかしくて笑い出してしまい、あたしは黙って恵方巻きを食べることができなかった。

誰が関東地方に持ち込んだんでしょうね、恵方を向いて黙って太巻きを食べる、なんて。あたしが子どもの頃(静岡在住)やってなかったなぁ。長女は「一気に食べないといけないんでしょ?すごく早くでしょ?」と言っていたが、本当にそうですか?

豆は、ばら巻き用と食べる専用と分けて用意した。みんな年の数を無視して、盛大に食べていた。砂糖でコーティングされているピンクの甘い豆を食べさせられたんだけど、飲み込んだ途端に「わぁエロくなったエロくなった!」と囃し立てられた。ピンクのそうめんやピンクの豆を食べるとエロくなってしまうんですって。本当にそうですか?

今日の昼はホットドッグサンド。タマゴマヨとかハムとかキュウリとかいろんなものを好き勝手に挟んで食べるようにしたんだけど、気がつくと何人か北北西を向いて食べている。尾を引いている。
二月に入りました。ってことはですよ。ゴールデンウィークのキャンプ場を予約するってことなのです。気楽に行くことができ、準備積み込みテントの組み立て料理テント撤収後片付けをほとんど自分ひとりでこなすことを前提にすると、渋滞の運転中に不機嫌になることなく行って帰ることができて、川があって。つまりとても近場じゃないと無理。車で1時間足らずのキャンプ場に予約を入れた。今からとても楽しみです。まずは前哨戦として海辺のキャンプ場で朝日と満月をみよう。できたら4月あたり。
この映画のサウンドトラックがほしい。

いたずら日和

2007年1月29日
朝、具合の悪いむすめをおんぶしてとっとことっとこ病院へ。薬局に寄り、鳥の名を教えながら帰宅。今日はキビタキが見られました。かわいかった。薬をのませたあと、ホットカーペットの上、ふたりで毛布にくるまる。むすめはあっけなく眠りの国へ。時間を追って太陽の射し込む方角が変わる。読書がすすむ。

インターホンが鳴る。

モニタに長女が変な顔を作って映っている。そっとチェーンをかけたり、鍵を開けたような音をさせてだまして、何十秒か遊んたあと解錠。「アホじゃない?いつもまったく」と口をとがらせながら飛び込んでくる。あなた、最近鍵を持たねば!という意識がまるでない。あたしが家にいるって安心しているね。だからいたずらされちゃうんです。

いたずらしよう。

ひまがあるうちに、たくさんいたずらを。オムライスにもくだらないケチャップのいたずらを。洋服のポケットにも、本のしおりも、PCのデータにも。
むすめたち、じっくりと観ていなかった。逆にあたしと母と長女は妻夫木くんに釘付け。
昨日、むすめたちは風邪気味だったので、家でおとなしくDVD鑑賞して過ごす。「さよなら、クロ」も観たんだけど、もう本当に集中の仕方が違う。やっぱり誰しもこわいものに惹かれるのね。
ねえさんねえさん、甘栗どうよ、おまけしとくよ、買ってって。むすめたちはあたしが「ねえさん」と呼ばれることがおもしろいらしく、満面の笑みを浮かべてついてくる。

午前中ぶらっと立ち寄り、楽器の演奏を聴き、あちこちで食べ歩き、そのあと電車で移動、子どものアトリエで楽しいひとときを、というのがあたしの予定だったんだけど、あっという間に時間とお金を中華街に吸い取られる。美術館には回れなかった。

商業主義を熱く熱く感じる街ですね、あそこは。いついっても疲労するし、幸せを感じられない。

帰りの電車でいろいろ考える。いつも車で気ままに動き回ることが多いので、たまには電車で公共マナーを学ぶのもいいし、おかしな(よくもわるくも)人を観察するのもいい。どんな疲れが気持ちいいか、も。お金を使う量と幸せが必ずしも比例するとは限らないことも、むすめたちに知っておいてもらいたい。少しは感じることがあったかなぁ。

夢うつつを知る

2007年1月28日
一時的なものかもしれないけれど。

自転車ですっ転んでから何日かは、泥のように眠り続けたあたしだったが、いつの間にかいちにち2〜3時間しか安眠できなくなっている。0:00に目を閉じると次に目覚めるのは2:00〜3:00。そのあと体を起こすまでの数時間は、夢とうつつを行ったり来たりする。

もともと母方一族の女はみなそうだ。いちにち2時間ほどしか眠らないし、その2時間を獲得するために眠剤の世話になっている者が多い。我が母もしかり。あたしは「枕に頭をつけすぐ昇天」の父に似て、眠りに苦労したことはなかった。月の周期で眠れぬ夜が一ヶ月に一晩あるかないか。特にここ数年はめちゃくちゃな時間の使い方をしていたので、夢さえ思い出せないほど短時間くーっと深く眠り込む毎日だった。

急に時間の使い方が変わったからね、と最初は思っていた。たくさん夢を見られるようになっておもしろいなぁ、と。今は働いていないので「おもしろいなぁ」と思う余地がある。なので1ヶ月間いろんな試みをしてみた。たくさん運動した日はどうなのか、頭脳を駆使した日はどうか、目をたくさん使って疲れたらどうなるか。答えはいつも同じ。

あたしの人生をスッとよぎっていった人たちの中には、これを中途覚醒と定義して追加の眠剤はなに選ぼうと頭を悩ませていた人もいる。あたしには今のところ危機感はない。母も何十年もたっぷり眠っていないが支障ないようだし。ただ夢を見すぎて疲れる。母には内緒にしておこう。仲間と思われるといろいろお節介やかれそうだもん。
これ観たい。

鮭の骨

2007年1月26日
高校生のとき、お弁当を食べていたらみほちゃんが「あ!ババァめ、殺す気か!」と鮭の骨を一本口から取り出しながら、お母さんを呪った。あたしは遠いところから自転車で通学するのに、自分で弁当を作らねばならぬ毎日に疲れ切っていたので「…罰当たりめが」とみほちゃんをたしなめた。鮭の骨くらいだまって自分で処理しなよ。もう二十年余も前のことなんだけど、時々思い出すワンシーン。

昨日末っ子を迎えに行ったあと、遅い昼食に焼き鮭を食べていたら、横でたべっこどうぶつをつまんでいた末っ子が「今日のお弁当のお魚、骨入ってたよ」と言った。わぁあたしは時を越えてみほちゃんの母の立場になった。しみじみしながら「とんちゃん、お母さんはね、とんちゃんがきっと上手に骨を出すことできるって信じて骨を入れたんだよ」と言ってみた。すると「出せたよ!」と誇らしげにしていた。

うまくいくとこれから骨を見つけるたびに、彼女、信頼を感じるかもしれない。でも少し大きくなったらすぐに本当のことに気づいてしまうだろう。魚の骨を抜かなかったあたしの怠惰は忘れて「物は言い様」というところだけおぼえていてほしい。
人間の内なる暗い面も排除せず、善と悪、清と濁も描かれています。むすめたちと回し読みしてます。
あたしはドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」の感想文を書かないといけないんだけど、ファンタジーに逃げ込み中。
この間からあたしたちはピーター・ジャクソン祭りを開催中。ロード・オブ・ザ・リングも続けて三本(いちにち一本ね)観ました。改めて思うんだけどサムは偉かったよね。
言葉も心も通わなくなった人がこの映画を「おもしろかったよ」と言っていた。確かにまわりで子どもたちが暴れていてもなんの努力もなく集中できる作品だった。「おもしろく」はなかったけど。
子どもの頃ルパンとつき合いたいと思ってた。でもこのルパンじゃなかったなぁ。
すっごく元気になれた、とは言わないけれど、ちょっぴり慰められた作品。

「すべき」をする

2007年1月23日
ノックノックして開けたドアのすき間から、一番最初に目に飛び込んできたのは店長の顔。様々な心配や不安が氷解する表情だった。多分この先もあの顔を忘れることなく時々思い出すだろう。

診断書や書類の受け渡しを母に頼んでいたため、職場に顔を出したのは1ヶ月ぶり。他のスタッフにも心配をかけたことを詫び、しばらく共に過ごしたのち、挨拶して帰った。

怪我をすると、みんなも「自分もやらかしちゃったストーリー」を語ってくれる。今日も痛々しい経験談でおなかいっぱい!

脂ののったサバを見つけてみそ煮、某焼肉店のドレッシングを使って韓国風サラダ、カボチャの煮物、高野豆腐の含め煮を作る。

みんなに会いに行くべき。元気になったよありがとうと言うべき。家族のために体によい物を料理すべき。メールに返事すべき。今日はいくつか「すべき」をしました。少しすっきり。明日もできるだけ「すべき」をしよう。リハビリ行くべき。楽器の先生に復活宣言すべき。ヨガのチケット取りに行くべき。書類を取りに行くべき。あぁ明日は大根とイカの煮物を仕上げるべきだし、餃子の皮の消費期限が迫っているのでなんとかするべき。

それ以外はまぁ適当にいたしましょう。手が痛い。

足踏み

2007年1月22日
ひとりきりの時間をあともう少し。あてどなく歩く道をあともう少し。野となれ山となれという胆力をあともう少し。思いを白にして片づけを猛烈に。隅々のひだを洗う音楽、これはもうたっぷりに。心底の静かな沼にたどり着くまであともう少し。でもあともう少しがどのくらいかわからない。振り返ると、10年のときも瞬きする間だったなぁと思うこともあるんだもん。

近頃、当たり前のことを当たり前だなぁと改めて気づく。恥ずかしいなぁって。どうして変わっていこうかなぁって。「あともう少し」はためらう心、足踏みなんだよね。だめなあたし。がんばれあたし。

私信

2007年1月20日
毎日ではありません。でもわたしは時折必ずあなたのことを考える。お元気なのがもちろん一番なのですが、病気をなさっても傷心でも、あぁそうだ、少々口を滑らせたとしても大丈夫。この空の下、どこかにいらっしゃるとわかっていれば、それだけでなにか安心なのです。不思議なものですね。この10年間(本当のところ何年だろう)変わらずそう思ってきました。長い隔たりをほんの数十分で跨ぐのもおもしろいけれど、今度から飛び石程度の間隔だといいな。わたしこれから加速的に年を取るんですもの。

感覚を信じる

2007年1月18日
ジーンズのすそをベルトで固定。この一ヶ月間も鍵はいつも身につけていた。サドルを低くしようと、六角レンチを右に左に動かすが無理だった。加世田くんが固定したサドルは、ゆるぎなく締め付けられていて、ビクともしない。今のわたしの力では、ねじを緩めることはできない。あきらめてそのまままたがる。

明日で転んでから一ヶ月経つ。半ギブスも昨日からサポーターになったことだし、経過も良好。事故以来初めて自転車に乗ってみた。10分ほどの距離にある歯医者まで。

正直言ってこわかった。減速せぬまま、段差で横滑りに地面に叩きつけられたため、段差がとてもこわい。以前とは変わった(変わってしまった)自分を感じる。きっと元のような運転はもうしない(できない)だろうと実感する。

久しぶりに姿を現したわたしをみて先生は目を見開く。

事故起こした翌日、かかりつけの歯医者が休みであったため、違う歯科医院で治療を受けていた。労災の書類を二度申請するのが面倒で、事故で折れた歯だけはそこで治せばいいと考えていたんだけれど、この間の診察の時「歯を抜くことになりそうです」と言うので「ちょっと待って」と思ったのだ。わたしの感覚では、その歯はまだきちんと使える。気心しれた医師の診断もやはり同じ。結局、病院を変えることにし、書類もさっき申請した。

感覚を信じて、それが当たっているとうれしいもの。どこが「ゼロ」なのか基準値があいまいな世の中、時々は「自分は正しい」と認識できる機会があるのは幸せなこと。

今日はそんな日でした。

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