もう金木犀が咲いている。例年より10日ほど早い開花だと思う。大気の匂いが変わったので確認したら、もう満開になっている木もあるくらい。こんなに早く咲いた年はなかったなぁ。心なしか花の色がうすいように感じる。今年のこれまでの気象はどんなだったんだっけ。いつもと違うところがあったんだっけ。思い出せない。今年は一緒に散歩したい人を思いつかない、誰も。
ラスク部分があたしで、疲れがチョコ。好きなチョコレート菓子「チョトス」みたいに疲れが体に沁みこんでいるのを感じる。当たり前だけど、人って外に出れば出るほど新しい人と知り合うもの。たくさんの人と話す。今は、忙しさに紛れてか感覚が鈍っているようで、新しい環境や人の群れに飛び込むことをなんとも思わない。仕事を覚えることに夢中。そんなふうに思っていたんだけど、前の職場の人々が、今の職場に現れて差し入れなんかしてくれちゃうと泣きたくなる。一緒に働いている人々の分も勘定に入れた缶コーヒー何本かがバリアになって、沁みこむ疲れから心を守ってくれる。そんな優しさにとろけている場合じゃないんだけれども。

豊水

2006年9月14日 趣味 コメント (6)
晩夏になると市場にまず顔を見せる梨は幸水。幸水と入れ替わるようにして出回るのが豊水。幸水は酸味よりも甘味が勝っていて、ややざらざらとした歯触り。豊水は酸味と甘味のバランスが半々で、幸水よりも水気が多くなめらかな口当たり。断然、豊水が好き。昨日この秋初めての豊水を食べた。おいしかったなぁ。

新しい仕事、こんがらがった暮らし。

今夜は誘いを断り家にいる。本当は不可避の誘いなんだけど、だめ。洗濯物を片づけたい。明日の朝飯や弁当の下ごしらえをしたい。日本昔ほらふき話を読み聞かせたい。ゆっくりと眠りたい(多分むすめたちより早く墜ちる)。だって明日はハードないちにちになるってわかってるんだから。

わけのわからないことを先送りにして、わかっていることをまずしよう。しなくちゃいけないことをこなすこなすこなす。疲れたから休む休む休む。眠って起きてまた考えるんだ。

思うと不思議ね

2006年9月8日
白い下着にステテコで、鉢物にポットボトルから水を注いでいる総白髪の男の人。上手に対向車に道を譲ることのできない自転車の人。車の下にうずくまる、尾が「く」の字に折れた太い猫。空に輪を描くこうもり数匹。急ぐ人、うつむいて歩く人、しぼんだ花、いちじくの葉の形。

日暮れた道を自転車で走っていると、よく物が見え、よく音が聞こえる。

楽しそうな人、苦しそうな人、ひとりきりでいる人、仲間といる人、どのような人であっても、なぜか他人のことがうらやましく思える。そう、人並み以上に家族がいてもさみしいときはさみしい。

風に乗って流れてきた会話の断片「思うと不思議ね」。最近聞かれなくなったフレーズだなぁ「思うと不思議ね」。
こうもりが好きだから、次女(小5)と一緒に読んでみようかと。
昨日図書館で「こっちへおいで、読んでごらん」とわたしにささやきかけてきた本。眠る前にぴったり。この柳澤桂子さんの書く物は、前から気になっていた。これから丁寧に多くの著書を読むつもり。

快適

2006年9月6日コメント (1)
途切れぬ車の波。右舷より白い軽トラック接近中。少しのすき間あり。「よし今だ!」。

この「よし今だ!」の気合いの分だけ、激しく車体はポールにぶつかる。わたしの運転する車の左側は、助手席も後部スライドドアも、あぁもうだめ。前から見るとランチャ・インテグラーレみたいにかくかくしているし、それから言いにくいけど、

穴があいてるよ、ドアがめくれて。

これはあたしのまわりに最近起きた、中の下程度の「不幸せな物語」。ただいま愛車は入院中。「快適」なのは代車で借りている軽自動車。着る物も乗るものも、無難にモノトーンが定番の我が家の車庫に、かつてこんなに真っ青な車が駐まっていたことはない。普段乗っているのは7人乗りの大きな車。今借りている日産の軽自動車は女の味方みたいな車なの。ガンガン買い物してバンバン積み込んで、細い道でもらくらく通り抜けられるし、駐車も簡単、小回りがきくし、本当に快適だ。

いいなぁ、軽自動車。

朝イチで友人宅に「茜丸」のどらやきを届けに行く(最近わたしすごくここんちのどらやきにハマっているの)。買い物に出かけ靴を買う。銀のアクセサリーを買う。新しい職場に出向きシフトを決め、ついでに服を何着か社販で買う。図書館に寄り数冊の本を借り、ふと空腹をおぼえて帰宅する。

寝て、起きて、アトリエの先生と電話をして涙を流し鼻をすする。友と笑って、食べて、買い物して、運転して、雨を秋を感じて、子の世話も仕事もしよう、わたしは強い。まだまだ普通にやれるさ。
続けてこれも読もう。今日は陽が傾いたら図書館に行こう。

龍のすむ家

2006年9月5日 読書
今はこれを読んでいる。読みながら寝てしまって(いやおもしろいんだけど)幼稚園バスのお迎えに行き逃した。
昼間、仕事に出かけない日々(っていってもまだ5日目だけど)。あれもこれもやっつけようと思っていたが、なんだか虚脱感にすっぽり覆われてしまって、なんにも手につかない。10時間も眠ったあとの今朝、あまりにも体がだるい。なんでだろう(ひょっとして寝過ぎか?)。ここ1ヶ月ほどは本気で貧血を治そう(ひどい数値だった)とせっせと薬ものんでいるし、診察も受けているし、その他の疑惑も採血の結果セーフだったし、要するに気力の問題か。

とりあえずガスレンジや台所まわりを磨いてみた。少しは心の曇りも取れるといいんだけど。

昨日「レモニー・スニケットの世にも不幸な物語」を子どもたちと観た。なかなかよかった。頭を使わずに済むところが特によかった。

ところで。

最近わたしの身の回りに起こっていることも結構「不幸な物語」だ。夫が読んでいるのでいろいろなことをストレートに書くことができないが(そうなの、だからいつも思わせぶりないやらしい文章になってしまうの)不幸の中の幸いを見つけるとしたら誰も死んでいないこと。紙一重だが死んでいないこと。

夏土産

2006年9月4日 読書
今年はブルーベリー狩りに行くことができなかった。虫の声、体にまとわりつかぬ風、店頭から姿を消した西瓜、首の折れたひまわり。夏の終わりを実感するにつけ、園主さん&そのパートナーに会えずじまい、眉根を開いて深呼吸できなかった夏の日々をさみしく思っていた。

今朝、ふと「パンケーキにブルーベリーを入れようか」と思い立って庭に降りてみると、ヒヨドリに盗まれてほとんどなくなっていたはずのブルーベリーが、思いがけずたくさん残っていた。あっという間に持ちきれなくなり容れ物を取りに戻る。

夏の置き土産。

ヒヨドリはちゃんと「共存」を知ってたんだね。あたしの分もちゃんと取ってあった。感心した。

手放すために

2006年9月2日
                   
子ども向けの映画、子ども向けの本。心が柔らかくなってとても助かる。

海賊め

2006年9月2日 音楽
この映画の中で一番好きなシーンは「海賊め」という台詞が吐かれるところ。

食欲全開!

2006年9月1日
食欲全開!
テハヌーさんが書いてらしたチキンカレー。わたしも食べたくなって作りました。

たまたま安かった手羽先と、父から送られてきた玉ねぎ(30キロはあるだろう!)をふんだんに使って水から煮込む。酒と酢も結構な量を入れて、沸騰させぬように火加減をしながら、浮いてくる脂と灰汁を取る。灰汁があまり出なくなったら圧力をかける。加圧そして放置。

蒸気が抜けたらフタを開け、にんじんとジャガイモとバナナをフードカッターにかけてピューレ状にして合わせ煮込む。火が通ったら市販のルーを溶く。子ども用には甘口を、大人用には辛口とクミンシードやガラムマサラ、カルダモンなどスパイスを加えて完成。そうそう、完成の前に「焼き肉のタレ」を少々垂らすと味がしまるんでした。すごくたくさんできてしまったんだけど、どうやら完売しそうだ。

暑い厨房での日々、食欲は減退の一途をたどっていたんだけど、ゲンキンなものでやめた途端に何を食べてもおいしい。今夜は秋風の涼しさに誘われてラーメンを作った。焼き豚やもやしとニラの炒め物、コーン、バター、卵、焦がしネギをあらかじめ作っておき、市販の生麺(なんとか名人とかかいてあるよな)セットを買ってきて一気に仕上げる。ラーメン食べたのとても久しぶり。おいしかった。

おなかいっぱい。

まだ20:30を過ぎたばかりなのに、とても眠い。いちにちくらい、こんな風にしていいですか。食べたい放題、眠りたい放題。

メッセージのみ

2006年8月29日
             

さよなら、夏の日

2006年8月28日
「さよなら、夏の日」という感じの風が吹き始めました。また再び灼熱の太陽が照りつける日があったとしても、やっぱりもう夏は背中を見せ始めてる。正体のわからない虫の声を聴きながら眠りに落ちるとき、それを実感する。

わけがわからぬまま、季節をまたひとつ見送った。

一番暑いさかりに2・3・4番目のむすめたちと共に集団キャンプに参加したことが、まぁ夏らしいといえる思い出だ。楽しかったかと聞かれれば「つらかったです」と答えてしまいそうなきっつい思い出。大勢のひとたちと決められた時間の中で、決められた作業をこなすことは、ホント楽しくない。軍隊にいるみたいだった。山に向かって「ガーオーッ!!!」と吠えたいことの連続だった。でも、知ってる、この社会に適応して自由にあちこち泳ぎ回るためには、むしろチームプレイに慣れてしまうのがなにより有効なこと。むすめたちには、簡単なことを簡単なこととして捉え行動できる真っ当な人に育ってほしいものだ。個性が強いということは、すなわちイバラの道を行くということなので、親としては「一匹狼よりはかわいい羊でいてよね」と願う。願いはするものの「あとは野となれ山となれ」と思ったりもするんだけど。無理よね、あたしの娘なんだもの、羊は羊でもきっと活きのいい暴れん坊の羊だ。

今いる職場での仕事もあと3日間。

さっき新しい職場から採用の電話がかかってきた。初出勤は5日から。さよなら、夏の日。

---るるさん---

お返事ありがとうございました!とてもうれしかったです。
厚かましくもリンクさせていただきました。
これからも気の向くまま遊びにおいで下さい。

るるさん

2006年8月25日
突然話しかけてごめんなさい。ぱでぃさんの日記経由で知ってから
毎日のように読ませていただいています。

お節介かとは思うんだけど、ハンズメッセに行かれる前に、授乳の
ときにわたしが使って便利だったクッションをお教えしたくて。

あのね、こんなの →http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b69394911

赤さんはおっぱいを飲むとすぐに眠ってしまうので、
http://diarynote.jp/d/43206/20041102.html

そのうち多分るるさんも添い乳に移行されるかとは
思うのだけど、最初のうちはこういう形のクッションを
使うと肩こり率がぐっと下がると思うのです。わたしは
4人目の授乳で初めてではないはずなのに、なかなか
ベストポジションをつかむのは難しくて、このクッション
プラスタオルや座布団で高さを調節してようやくゆったりと
した気持ちになれました。

ながながとごめんなさい。もしも参考になったらうれしいの
だけど…。

暑い最中のマタニティライフ、「ふぅ…」なこともあるかと
思うけれど、かけがえのない蜜の時間をどうか楽しんでください。
ひっそりこっそり応援しています。

温かいコーヒー

2006年8月25日
最後のハムスター、スノウが死んで15日が経った。スノウもトッポもジャンガリアンハムスターという種類で、寿命は大体2〜3年。友人宅でも多くこの種類のハムスターは飼われているが、2年を越えて生きる個体は少ないようだ。我が家の2匹は寿命を全うした。2年6ヶ月、2年8ヶ月生きてくれた。いずれも亡くなる前日まで元気にはね回っており、長患いとは無縁で突然逝った。

たかがねずみ、されどねずみ。

ハムスターは愛しい生き物だ。眠る姿も食べる姿も走る姿もかわいらしい。立ち止まって手をすり合わせたり、コケるところなど、もう悩殺的。そして回し車を果てなく回す姿はいじらしい。時に自分を投影して切なくなる。

かわいかった。癒してくれた、いつも。

モナカやトッポが死んだときわたしは、すぐにはむすめたちに死を伝えられず、墓を作ってから死を告げ花を供えさせた。むすめたちは泣かなかった。娘たちが学校に行く前であったり、自分が出勤せねばならぬ時間の直前に死を告げたりできなかった。学校で涙が止まらなかったり、自分の留守に身をよじって泣くだろうむすめたちを思うと、黙っているしかなかった。しかし10日に亡くなったスノウの異変に気づいたのは次女で、今は夏休み中だ。

うっすら目を開けて横たわったスノウは息をしていなかったが、体はまだ柔らかく温かかった。声を上げて泣きながらかわるがわるみんなで抱いた。わたしたちは小さな白いかたまりが大好きだった。終わりがくることを知りながら愛した。

あまりに温かかった体が冷えて固くなるまで墓を作ることはできなかった。死を本当に確かめるために。土の中に敷きワラを敷き、天国で困ることがないようにエサをたくさん入れて、また敷きワラを上にかけ、土をかぶせていく。ブルーベリーの実とチェリーセージの赤い花を供える。

前の二匹のときには、泣かなかった代わりに長く悲しみをひきずっていたむすめたちだった。今回は強い悲しみを味わったが、痛みの期間は短かったようだ。セレモニーはこういうことのために必要なんだと知る。

夏のリビング、いつも我が家はエアコンをかけっぱなしでとても涼しかった。暑さに弱いハムスターのためだった。涼しい部屋で飲む温かいコーヒーがおいしかった。今朝は冷たいコーヒーを飲んでこれから出勤する。

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