この間、整体治療院に行った時に先生が言った「穏やかに暮らせるといいね」と。確かに近頃のわたしは少々怒りっぽかった。自分で思うに、マイペースでチームワークが苦手、という子供の頃からの悪癖を直すべく、極力たくさんの人波に揉まれよ!と自分を叱咤激励しすぎてしまったのかも。子供系の用事も多く、やっと自分の時間を取れそう、と思った時には理不尽な横槍に邪魔され自由になれず、やることなすこと裏目裏目に出て、体内を転がり回る怒りの球はもう爆発寸前。昨日も「あたしにどうしろっていうのさ」という類いの電話を受け、あーでもないこーでもないと悩み、わたしが「かくあるべき」と思う自分と、幼い時分から引きずってきている「人の急所を刺して高笑い」するような低級な自分が、ホッ!ハッ!ホッ!ハッ!とフェンシングしているような心模様。
今日は午後から家族で弦楽器のコンサートに出かけた。あたたか且つたいへん高度な演奏を驕る気持ちなく聴かせてくれる、地域の有志で構成された素敵な弦楽団だった。やはり音楽はテクニックだけでは伝わるものが半減する。ステージと聴衆の間に流れる何かが必要だ。今日のコンサートにはそれがあった。それだけでも本当にうれしかったが、なんと弾きたい楽器を弾かせてくれる、という企画があって、わたしもチェロを弾かせていただけたのだ!生まれて初めて触れるチェロ。開放弦のみの曲をコントラバス、ヴィオラ、ヴァイオリンと合わせて演奏した。高揚した。
こうして今、夜中にこれを書いていても、なんともいえないうれしさが心を温めてくれているのを感じる。思い続けていればいつか願いは叶う、というが、果たしてわたしがチェロを習う日は訪れるのだろうか。…とこんな取り留めのないことを考えている間に、くだらない悩み事の解決方法がいつの間にか見つかっていた。例によってそれはホントに簡単なことなのだった。がっくりと安心する。
今日は午後から家族で弦楽器のコンサートに出かけた。あたたか且つたいへん高度な演奏を驕る気持ちなく聴かせてくれる、地域の有志で構成された素敵な弦楽団だった。やはり音楽はテクニックだけでは伝わるものが半減する。ステージと聴衆の間に流れる何かが必要だ。今日のコンサートにはそれがあった。それだけでも本当にうれしかったが、なんと弾きたい楽器を弾かせてくれる、という企画があって、わたしもチェロを弾かせていただけたのだ!生まれて初めて触れるチェロ。開放弦のみの曲をコントラバス、ヴィオラ、ヴァイオリンと合わせて演奏した。高揚した。
こうして今、夜中にこれを書いていても、なんともいえないうれしさが心を温めてくれているのを感じる。思い続けていればいつか願いは叶う、というが、果たしてわたしがチェロを習う日は訪れるのだろうか。…とこんな取り留めのないことを考えている間に、くだらない悩み事の解決方法がいつの間にか見つかっていた。例によってそれはホントに簡単なことなのだった。がっくりと安心する。
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