囲碁とか、史上最強の棋士の数奇な人生とか、アジアの激動とか、そういうことはさておいて、いろいろな場面で匂いを感じる映画だった。畳、夏、土埃、囲炉裏、硝煙、森、泥、海、雨、せんべい布団…昭和の匂い、おばあちゃんちの匂い。呉 清源役チャン・チェンの顔の端正なことと、それから久しぶりにみた野村宏伸の顔にびっくり。年月というのは誰にも同様に流れている。

http://www.go-movie.jp/index.html

死ぬかと思ったH

2007年10月23日 読書
仕事の前に、ちょっと裁判所に寄って家事相談して…別の日にはちょっと申し立てして…みたいな暮らし。幾重にも重なった生活様式の中をつぃーっと泳いだり、訳のわからない道理をがなりたてる人々の中で迷子になったり、娘の目の力が弱まっていることに気づいて両肩を捕まえ光を注入したり。音楽が映像がロスが、あたしの生活から消えつつある。自分が選んだことなので、どうしてそうなるのかはわかっている。納得してもいる。しかし時々やるせない。

じゃあ泣いちゃう? じゃあどっか行っちゃう? しゃがんじゃう?

いやいや諦めるのにはまだ早い。そんなことしてるひまがあったら、まぁまず変なマンガ読んで笑いましょう。あたしんちでもNG出るくらいエッチでくだらないマンガ。涙が出るほど笑ったらちっとはスッキリしてるでしょう。

他人の前で気持ちを昂ぶらせて物を言い、眠って忘れたらいけない。到達したい(させたい)地点を目指して、効率的な伝え方を考えないと意味がない。表情や言葉を通して心は透ける。あたしが今、逆の立場で受けている教え。感情に流されず、ピキーンと張り詰めた人々をそっと観察するのです(自分に言い聞かせ…)。
頭が疲れると短編を読みたくなる。くだらなくないやつ、きゅっと心の奥に光を当ててくるやつ、読んだあと静かな気持ちで元の生活に戻らせてくれるやつ。

読まなくてはいけない本の背表紙を2〜3冊見ないふりして、久しぶりに村上春樹の短編を読む。家事しながらずっと焚き火のことを考えています。夏の夕暮れ、秋の訪れ、乾いた空気、しんと静まりかえる河辺、湯気のたつ飲み物、優しい沈黙、ゆらめく炎、いくつかの瞳、澄んだ熾火のあの音。

そして思うの。

今は、外を想ってばかりじゃだめなんだよ、って。

焚き火は、お預けだ。あれは区切られていない長い夜にやってこそなんだから。
今夜は餃子。カーナビも携帯もマニュアルを読まないのが信条なんだけど、初めて皮から作るので「一度だけよ」と本の言うなりに作りました。いつもの餃子との違いはまず皮のもちもち感。こんなぷりぷりしたボリュームのある皮に包まれていちゃ何個も何個も食べられません。具はひき肉じゃなくて豚ばら肉を粗く叩いたものなので、食感もこれまた違う。それから調味。いつものより断然濃い。醤油がいっぱい入ってるの。たれにつけるのはサッパリさせるためっていう感じ。思ったよりも簡単で、これから何度も何度も具をかえながら作りたい。

昨日のチンヂャオロースもおいしかった。レトルトの素なんか使わない方がおいしいなってつくづく思った。後味がくさくなく爽やかなのがいい。何を食べてもおいしい。太る。でも人は痩せているからといって愛されるわけじゃないからまぁいいよ。みんなたっぷり食べて元気でいたらよろしいんです。

バテないために

2007年8月7日 読書
この間、ウー・ウェンさんのレシピ本の中から小さな肉まんと、餃子の具が入ったおやきのようなもの”シァアビン”を作った。最初の粉を混ぜるところから始めて、捏ねて丸めて一回目の発酵、最後の成形、二次発酵までひとりひとりが200gずつ受け持って一通りやってみた。5才のトンもやればできるもんです。捏ねるのもがんばっていたし、おもしろい形の包子を工夫して作っていた。焼きたて蒸したては本当においしかったけど、暑いのなんのって!

今日は花巻を作った。中身がなんにもない万頭です。パン生地のようなものをくるくると丸めて切り分け、花のように形づくる。味はいいんだけど、くるくる丸めるときに遠慮がちに丸めたので、花巻特有の生地の折り重なり方が物足りず、また二次発酵がちょっと足りなかったようでふわふわ感が足りない。これから改善バージョンをもう少し作る。今夜は花巻と青椒肉絲と中華冷や奴。

中華料理は作るとき暑いから気合いが必要だけど、バテないためにはやっぱりいつも冷たいものばかり食べてちゃだめなんだもんね。時にはがんばります。
3日間仕事が休みです。

昨日はひとりで2時間ほどぶらぶらして、中国茶器のセットを2セット購入。ひとつはポットの蓋に蛙がとまっている素焼きのかわいらしいデザイン。もうひとつのポットは赤いバッチャン焼きで、持ち手が華奢な細工のシルバーでできている。満足満足自己満足。夜ははなまるうどんで夕食後、むすめたちと恒例のハリーポッターの映画を観に行きました。大変わかりやすく短めにできており、末っ子もぐずったり眠ったりせずに無事鑑賞。

今日はウー・ウェンさんのレシピ本を使って、数品点心を作ります。全部できあがったら昨日買った茶器で工夫茶に挑戦。そのあと2日間ほどぐずぐず引き延ばしにしていた英語メールの返事を書きます。それから明日の買い出しに行ったり、下ごしらえをする。

明日はみんなで川原へ行きます。BBQをして、酔っぱらって、酔いが覚めるまで楽器の練習をします。そしてきっとぐったりする。
大きなデパートの中で1時間ほど過ごす。何も欲しい品物がない。作陶展を見て、なんとかいう画家のギャラリーを見て、漆塗りの工芸品を見て、もうそれだけで飽きた。屋上庭園で「頭のうちどころが悪かった熊の話」という本を読みながら、激しい風に吹かれていた。時折、今夜はいつもとは違う夜になればいいのになと、ものすごいスピードで流れる雲につい願った。

騒がしい街は騒がしいまま、静かな通りは静かなまま、汚い路地は汚いまま、つまりいつもとなんら変わりなく、夜も雲も人も結局通り過ぎていった。あたしもそこを通り過ぎて犬を迎えに行った。クマちゃんとワニちゃんが飛びかかってきて、腕とおなかの周りが傷だらけ。

明日はお仕事の面接です。それが新しい章の始まりでしょうか。それとも働き始めてから? とにかく心落ち着けて次の章に入りましょう。

先生が言った

2007年6月12日 読書
この間のレッスンの日、先生が笑いながら「馬の横に立って写真を撮ってきたら」と言った。モンゴルの人みたいだ、と。モンゴルの人はこんな風ですか?と聞いたら大きく頷いてなお笑う。きっとお知り合いのモンゴルの人に、あたしは似ていたんでしょう。あたしはモンゴル人をあまり知らないモンゴロイドです。
人間の内なる暗い面も排除せず、善と悪、清と濁も描かれています。むすめたちと回し読みしてます。
あたしはドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」の感想文を書かないといけないんだけど、ファンタジーに逃げ込み中。
車を運転し、子どもたちと映画を観に。仕事をずる休みしている気分だ。我ながらあきれるほど回復する力が強い。なぜ臥していられないのかと自分の身になにか起こるたびいつも思う。
ここしばらく10年くらい前に出版された動物行動学の本を読んでいた。「動物の心」という本で、例えば、狩るもの狩られるものの心理であるとか、動物はどのような認識の上で行動を起こしているのか、ということを考察実証している。写真家の星野道広氏がヒグマに襲われて亡くなった事件が忘れられない。クマの生態に明るかった氏がなぜそのような死を迎えねばならなかったのか。虫採りに行ってはスズメバチに遭遇していたわれら兄弟はなぜ刺されずに毎度いられたのか。そんなことが時折頭をよぎるわたしには大変魅力的な本なのだが、難しい記述が多くてすぐに眠り込んでしまうため、なかなか前に進めない。あきらめた。また心と生活に余裕があるときに再開しよう。昨日、久しぶりに買った本は老子の本。短い文章が1ページごとに写真と共に載せられている。パラパラとめくったときに現れた言葉は「勝利は深く頭をたれて」という言葉。そう。なにかとやり遂げるときは誰かを陥れてではなく、深く頭を垂れて粛々としていたい。
この間、飲み会の席で隣り合わせたスタッフは、自他共に認める活字中毒者なんだそう。好きな作家は誰ですか?と聞くと、少し首を傾げながら「…うーん作家って言われても…」。では好きな文章はどんなのですか?と聞きかえたら「カラマーゾフの兄弟」だと言う。カラマーゾフの兄弟…トルストイ?スタンダール?ちがうちがう、ドストエフスキーなんだって。

小学生の頃、世界文学全集をひまにまかせてパラパラと読む真似していたなぁ。カラマーゾフの兄弟もめくりはしたんだろうか。今日買ってこよう。眠る間際の読み物として最適そう。だってすごく睡魔好みだと思うから。

終わりよければ

2006年10月8日 読書
あっ!時計忘れた!…と、閉めた玄関の鍵を開け、時計を取りに戻り、慌てふためきながらまた鍵を閉めていたら、腕時計を落としてガラスを破損してしまった。本当にほしい時計がなかなか見つからず、けれど仕事に欠かせないので安物を間に合わせに買って使っていたんだけど、やっぱり「安かろう悪かろう」だったのかな。

7の針のところにひびが入った時計を拾い上げて「朝からげんの悪い…」とブルーな気持ちで出勤。お?でも今日のスタッフはやりやすい人ばかりだ、よかった。先日習ったばかりの作業も滞りなく済み、外回りを掃いて回っているとき「それ」が目に飛び込んできた。犬、の忘れ物だろうか? いやいや。犬はティッシュやトイレットペーパーは使わないもんなぁ。人間さまの置きみやげのようだ。見なかったふりはできない。あとでチェックが入るもの。遅かれ早かれあたしがやるのだ。

忙しく忙しく時が流れ、あっという間に退勤の時間になった。帰り道、見上げた空には美しい月。娘の宿題が月と星の動きを調べて絵にすることだったので、食後、もう一度改めて月を観る。冴え冴えとして、赤さんの目のように青みがかったきれいな月でした。心、洗われる(気がする)ね。終わりよければすべてよし。早寝をしましょうか、月の光はあまり浴びすぎぬようにして。
この半月くらいの間、眠る前にこの本を読んでいる。何度か同じページを繰り返し繰り返しながら、のっそりのっそり読み進んでいる。「なるほど…この言葉、本当だよね」と、時々、睡魔が手綱をふっと緩めるようなセンテンスが現れる。

「自分がよいと思うことだけするのは、わがままってもんだよ。」

本当だよね、最近、そう思うよ、つくづく身にしみて。
こうもりが好きだから、次女(小5)と一緒に読んでみようかと。
昨日図書館で「こっちへおいで、読んでごらん」とわたしにささやきかけてきた本。眠る前にぴったり。この柳澤桂子さんの書く物は、前から気になっていた。これから丁寧に多くの著書を読むつもり。
続けてこれも読もう。今日は陽が傾いたら図書館に行こう。

龍のすむ家

2006年9月5日 読書
今はこれを読んでいる。読みながら寝てしまって(いやおもしろいんだけど)幼稚園バスのお迎えに行き逃した。

夏土産

2006年9月4日 読書
今年はブルーベリー狩りに行くことができなかった。虫の声、体にまとわりつかぬ風、店頭から姿を消した西瓜、首の折れたひまわり。夏の終わりを実感するにつけ、園主さん&そのパートナーに会えずじまい、眉根を開いて深呼吸できなかった夏の日々をさみしく思っていた。

今朝、ふと「パンケーキにブルーベリーを入れようか」と思い立って庭に降りてみると、ヒヨドリに盗まれてほとんどなくなっていたはずのブルーベリーが、思いがけずたくさん残っていた。あっという間に持ちきれなくなり容れ物を取りに戻る。

夏の置き土産。

ヒヨドリはちゃんと「共存」を知ってたんだね。あたしの分もちゃんと取ってあった。感心した。

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