先週、映画館で「ジャスミンの花開く」を観た。チャン・ツィイー主演の作品。美しかった。ストーリーは今のあたしには少し重すぎて、最後のほうで泣いてしまった。誰かの娘で、そして娘ばかり産んだあたしには身につまされる内容で。

8月も20日を過ぎると、なんだか少し気持ちがせかせかする。あたしには宿題なんかないのに。いや待てあるな。人に出されたものじゃない、自分で自分に課したものは。日々のことに追われてあんまり進んでいない。

宿題にようやく取りかかったむすめたちと一緒にしばらく頑張ります。
あたしはB型ですからね…話半分ね、という感じで鑑賞しましたが、隣でA型の娘が、B型に振り回される被害者に対し「ね!むかつくよね!B!」と熱く応援するのがうるさくて、この映画がおもしろかったのかそうでないのかわからなくなっちゃった。
この映画のサウンドトラックがほしい。
むすめたち、じっくりと観ていなかった。逆にあたしと母と長女は妻夫木くんに釘付け。
昨日、むすめたちは風邪気味だったので、家でおとなしくDVD鑑賞して過ごす。「さよなら、クロ」も観たんだけど、もう本当に集中の仕方が違う。やっぱり誰しもこわいものに惹かれるのね。
これ観たい。
この間からあたしたちはピーター・ジャクソン祭りを開催中。ロード・オブ・ザ・リングも続けて三本(いちにち一本ね)観ました。改めて思うんだけどサムは偉かったよね。
言葉も心も通わなくなった人がこの映画を「おもしろかったよ」と言っていた。確かにまわりで子どもたちが暴れていてもなんの努力もなく集中できる作品だった。「おもしろく」はなかったけど。
子どもの頃ルパンとつき合いたいと思ってた。でもこのルパンじゃなかったなぁ。
すっごく元気になれた、とは言わないけれど、ちょっぴり慰められた作品。
長女(18才)と二人で鑑賞。女ならではの視線で主人公の体をねめ回す。一致した意見として「シャロンはすごい」。お互い少しは刺激を受ければいいのに。
薄暗くなった夕暮れ時、部屋の電気をつけずにひとりで鑑賞。母(60才)が入ってきて2分ほど黙ってみたあと「なんだ、プロミスみてんのか」という。レンタルリリースされてすぐに観たとのこと。30分後今度は夫が入ってきて2分ほどみたあと「あんたよくこの映画みて起きていられるね」という。あんたもみたのか。あたしは読書においても映画鑑賞においてもみんなより遅れているようだ。

昨日パウロ・コエーリョの「11分間」を読んでしらけた。愛。セックス。男。女。ふん!ふん!
新学期初日の朝、長いこと次女(11才)はトイレから出てこない。ギリギリの時間になって、よろめきながら現れ、ヒーターの前でへたる。この子はわりとよくこの状態になる。演技ではない。本当に痛いし、実際におなかも下しているのだ。学校を休む。

きっと体質改善が必要なのだろうと思う。信念を持った改革をしないことには、またちょくちょく繰り返してしまうだろう。ただ大事なのは、信念を持つのがあたしではなく、本人じゃなくっちゃいけないということ。

昼が近づくにつれ元気になり出すハライタ・プリンセス。

ポセイドンをふたりでみる。観賞後お姫様にひとこと「きみも一大事のときには限界までがんばるようにな」。
最近、精神的に強くなったと自分では思う。耳が痛くなるようなことを聞かされても、様々な角度から(一応)考えてみるようにはなったし、嚥下するかしないか別にしても、咀嚼はしてみるようにはなったのだ。手に入れたい、あれがほしいという対象の人や物に対しても強く執着しなくなった。身もだえすることもない。

近頃あたしが手に入れたのは「諦めみたいなもの」なのかもしれない。

焼きそば食べながらこの作品を観られるのはその印。
フセイン処刑の映像を正視するのもその印。

さみしいときも、寄る辺ない夜も、胸中に鳩が飛び回るような気持ちのときもある。感情を失ったわけじゃ決してないんだけど、こうして生き易いように角がとれていくのかなぁ、鈍していくのかなぁと思う。

いいですか?このまま歩いていても。
この道、また間違い道ですか?
わたしは間違いのような気がします。
わたしにとっての「耳」は、ここ。
12月に入り、休みのたびに大掃除を繰り返してきたので、とても体が疲れている。今日こそは純粋な休養日にしようと決め、昨夜、仕事帰りにDVDをレンタルした。近年観た映画の中で、ストーリー的にも映像的にも忘れられないのが「シティ・オブ・ゴッド」。そのフェルナンド・メイレレス監督の最新作「ナイロビの蜂」を23:00からひとり観た。命の値段を考える。前作同様、感想を言葉にできない。決してくつろげる映画じゃなかったなぁ。

いぬのえいが

2006年10月6日 映画
雨がもう何日も降り続いている。肌寒くて鳥肌が立つ。10時間ほど仕事で家を空けて帰ってきて、長女と母が連携プレイで支度してくれた夕飯を食べ、ひと息。さて、もうひとつ今度は別件で2時間ほど出かけなくてはならない…と思っていたら、大雨で中止のメール。ぽっかり空いた2時間に、借りてあった「いぬのえいが」をすっぽりはめ込んでみた。高3から5才児まで大泣き(あたしも)。ゆにぞん家は動物物に弱い。

わたしも幼少時には、本当にいぬの世話になった。いぬはあたしを愛してくれたよなぁ、無条件に。シャンプー嫌いなあたしの髪が油っぽくっても、草の汁やどろで汚れた手だっていつでもなめてくれたし、会うといつもおしっこ漏らすほど喜んでくれたし、あたしに意見など一切しないでひたすらに愛してくれたよなぁ。

今考えるとありがたいね、そういう存在。

この映画、きっといぬの世話になった人が作ったんだろう。伝わりました。
昼間、仕事に出かけない日々(っていってもまだ5日目だけど)。あれもこれもやっつけようと思っていたが、なんだか虚脱感にすっぽり覆われてしまって、なんにも手につかない。10時間も眠ったあとの今朝、あまりにも体がだるい。なんでだろう(ひょっとして寝過ぎか?)。ここ1ヶ月ほどは本気で貧血を治そう(ひどい数値だった)とせっせと薬ものんでいるし、診察も受けているし、その他の疑惑も採血の結果セーフだったし、要するに気力の問題か。

とりあえずガスレンジや台所まわりを磨いてみた。少しは心の曇りも取れるといいんだけど。

昨日「レモニー・スニケットの世にも不幸な物語」を子どもたちと観た。なかなかよかった。頭を使わずに済むところが特によかった。

ところで。

最近わたしの身の回りに起こっていることも結構「不幸な物語」だ。夫が読んでいるのでいろいろなことをストレートに書くことができないが(そうなの、だからいつも思わせぶりないやらしい文章になってしまうの)不幸の中の幸いを見つけるとしたら誰も死んでいないこと。紙一重だが死んでいないこと。
山本周五郎の短編をもとにしたこの作品。ふっくら幸せそうにふくらませてあった。寺尾聡がすてき。殺陣に見とれた。わたしもこんなふうによくできた奥さんならよかったのに。
ようやく観ることができた。ずっとしんみりしっとりとした映画を観たいって気分じゃなかった。小難しい作品も観たくなかった。最近少しは落ち着いてテレビの前に座れるようになった。座っていても眠りに引きずり込まれることもなくなった。

しかし。レンタルビデオ屋の中は、愛だの恋だのの絡まった作品だらけだね。「ラブストーリー」のコーナーじゃない棚からピックアップしたこの映画。ものすごくジンとくる愛の物語だった。…ちぇっ!

1 2 3 4

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索