GWの過ごし方について悩んでいる。ナンバー1以外の娘を全て夫にくっつけて、夫の実家に送り込み、自分は1〜2日のんびりしようと企んでいたが、母から広島に一緒に行かないかと誘われてぐらついている。
ノラさんの日記の中におじいさまの話が出てきてから、わたしも自分の祖父の人生がなんだか妙に気になりだしたので、健在の祖母に会って、祖父のことを根掘り葉掘り聞いてみたいと思っていたのだ。
わたしの祖父はハワイに生まれた。戦争が始まり(どちらの戦争の時かはわからない)祖父の父母は成長した子供だけをハワイに残し、若かった祖父やその兄弟を故郷広島に帰らせた。祖父には継ぐべき家名、広大な山林などがあったはずだが、なぜかそれらを投げうって弟に跡取りを譲り、自分は海軍に志願してしまう。
海軍に入った祖父のことを詳しく知っているものはいない。すでに故人の大叔父にはよく戦争中の話をしていたようだが、その会話はいつも英語でなされていたと言う。つまりは人にあまり聞かせたくなかったのだろう。祖母にある時聞いてみた「おじいちゃんは戦争のとき、どこにいたの?」「さぁてねぇ、どこじゃったかな。確かアンボンいうたかなぁ」
インドネシア諸島アンボン。検索エンジンに「アンボン」と打ち込んでみると「アンボンでなにが裁かれたか」という映画がすぐに見つかる。アンボン捕虜収容所における日本軍のオーストラリア兵捕虜虐殺事件が題材の映画のようである。
祖父は戦争が終わってから1年ほどして復員した。すぐに帰ってこられなかったのは、祖父の乗っていた「船」(どのような船なのかわからない)は、戦争がまもなく終わろうとする頃、南洋で沈み、多くの仲間たちと共に木の板棒切れなどにつかまり、何日間か漂流したのち、米軍に救い上げられ捕虜となったからである。捕虜となるまでに失われていく仲間たちの命。そんな中で生き残った自分。そのことについては少々母に語っていたようで、母はあたかも自分が経験したことのように何度も話をする。
収容所で祖父は他の捕虜とは違う待遇を受けることができた。英語を解し話すことができたので、通訳として働くことができたからだという。…と母から聞く、祖父の戦中に関する話はこんなところまで。広島の山あいの村に戻った祖父は、帰ってすぐに授かった母を溺愛した。どのぐらい愛したかといえば、祖母の母乳を一切飲ませず、わざわざハワイから取り寄せた粉ミルクだけを自らの手で飲ませ、四六時中抱いて離さず、果てはおむつの中に指を入れておき、排便排尿するやいなや取り替える、といった具合だったそうだ。
無口で、レーガン元大統領によく似た面差しのダンディーな祖父。祖母が港へ見送り出迎えに行っていても祖母には気づかず、目の前を女たちに囲まれて素通りしていったという祖父。亡くなって早18年。あなたの人生をいつかちゃんと知りたい。
数年前に届いた封筒。祖父母の村がダムに沈むため、その土地にまつわる係累のもの全てに承諾確認書が郵送されてきたのだ。祖父母の前の代からの家系図が同封されていた。ハワイ、ロスアンジェルス、世界のあちこちに広がる遠く薄い血縁者。残念ながらその封筒は母がなくしてしまったようで、もう一度読むことも叶わない。
今回母と旅すれば、ルーツをたどるライフワークをやっと始められそうな気がするのだが、様々な事情によってためらう自分がいる。
ノラさんの日記の中におじいさまの話が出てきてから、わたしも自分の祖父の人生がなんだか妙に気になりだしたので、健在の祖母に会って、祖父のことを根掘り葉掘り聞いてみたいと思っていたのだ。
わたしの祖父はハワイに生まれた。戦争が始まり(どちらの戦争の時かはわからない)祖父の父母は成長した子供だけをハワイに残し、若かった祖父やその兄弟を故郷広島に帰らせた。祖父には継ぐべき家名、広大な山林などがあったはずだが、なぜかそれらを投げうって弟に跡取りを譲り、自分は海軍に志願してしまう。
海軍に入った祖父のことを詳しく知っているものはいない。すでに故人の大叔父にはよく戦争中の話をしていたようだが、その会話はいつも英語でなされていたと言う。つまりは人にあまり聞かせたくなかったのだろう。祖母にある時聞いてみた「おじいちゃんは戦争のとき、どこにいたの?」「さぁてねぇ、どこじゃったかな。確かアンボンいうたかなぁ」
インドネシア諸島アンボン。検索エンジンに「アンボン」と打ち込んでみると「アンボンでなにが裁かれたか」という映画がすぐに見つかる。アンボン捕虜収容所における日本軍のオーストラリア兵捕虜虐殺事件が題材の映画のようである。
祖父は戦争が終わってから1年ほどして復員した。すぐに帰ってこられなかったのは、祖父の乗っていた「船」(どのような船なのかわからない)は、戦争がまもなく終わろうとする頃、南洋で沈み、多くの仲間たちと共に木の板棒切れなどにつかまり、何日間か漂流したのち、米軍に救い上げられ捕虜となったからである。捕虜となるまでに失われていく仲間たちの命。そんな中で生き残った自分。そのことについては少々母に語っていたようで、母はあたかも自分が経験したことのように何度も話をする。
収容所で祖父は他の捕虜とは違う待遇を受けることができた。英語を解し話すことができたので、通訳として働くことができたからだという。…と母から聞く、祖父の戦中に関する話はこんなところまで。広島の山あいの村に戻った祖父は、帰ってすぐに授かった母を溺愛した。どのぐらい愛したかといえば、祖母の母乳を一切飲ませず、わざわざハワイから取り寄せた粉ミルクだけを自らの手で飲ませ、四六時中抱いて離さず、果てはおむつの中に指を入れておき、排便排尿するやいなや取り替える、といった具合だったそうだ。
無口で、レーガン元大統領によく似た面差しのダンディーな祖父。祖母が港へ見送り出迎えに行っていても祖母には気づかず、目の前を女たちに囲まれて素通りしていったという祖父。亡くなって早18年。あなたの人生をいつかちゃんと知りたい。
数年前に届いた封筒。祖父母の村がダムに沈むため、その土地にまつわる係累のもの全てに承諾確認書が郵送されてきたのだ。祖父母の前の代からの家系図が同封されていた。ハワイ、ロスアンジェルス、世界のあちこちに広がる遠く薄い血縁者。残念ながらその封筒は母がなくしてしまったようで、もう一度読むことも叶わない。
今回母と旅すれば、ルーツをたどるライフワークをやっと始められそうな気がするのだが、様々な事情によってためらう自分がいる。
コメント