素 

2004年5月2日 友達
女も35才にもなれば、なかなか上手に「素」を隠すことができるものだ。理想の性格を模した化粧をしたり、心意気を表す服を着たりと、人は「なりたい自分」を演出することができる。できるだけうまく笑う。絶妙のタイミングで相づちを打つ。わたしはしっかりとしています。わたしは誠実です。わたしは無害です。わたしはがんばり屋さんです。わたしは常識的です。だけどわたしは一風変わってます。わたしは…わたしは…わたしは…

ところが近頃、装う自分の奥底をじっと注意深く見つめる瞳に出会うことがある。静かだが強い光り方をしている眼に見つめられると、わたしは恥ずかしくなって下を向いたりしてしまう。ところが、そういう相手の顔はと言えば、赤ちゃんだった頃からきっとこんな顔していたんだろうなぁ、なんてことを考えさせるほどあどけない人相だったりする。話をしていると体がポカポカとあたたかくなってきてリラックスし、ついぽろりと本心をもらしてしまう。

そんなことを、アルコールなしでやってしまう相手に恥をかかせない、というのもそういう人たちの特長のひとつだ。楽しくてあたたかでうれしい時間を共に過ごして、幸せを味わう。その上、心でコロコロと転がして楽しむ「宿題」というお土産をくれたりもする。

今日もそんな出会いがあって、帰り道、電車に揺られながらふと気がついたんだけれども、これはきっとご褒美なんだ。自分では「できてないできてない、たどり着けない」とくよくよすることが多かったけれど、もしかするとわたしはわたしなりにがんばれていたので、命も絶たずに生きてきたので、誰かが肩をたたいて「おつかれさん」ってしてくれているのかもしれない。

なーんて思ったりして。

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