ドッグヴィル/ラース・フォン・トリアー
2004年5月3日 映画
この監督の映画を観ると、必ず胸に浮かぶことがある。それは子供時代の記憶だ。16才の頃のわたしは、山間部から高校へのおよそ10キロの道のりを、雨の日も風の日も晴れた日も、そして病める時も健やかなる時も、自転車で往復していた。自転車をこいでいる時のわたしは、絶えずとりとめのないことを考えていたものだが、その考え事を妨げるのは、信号機の光の色だった。
誰が言い始めたのか憶えていないが、きっと迷信好きな友人が言ったんだろう「信号が黄色から赤に変わる間に横断歩道を渡れたら、その日はラッキーデーになるんだよ」。
わたしは小学生の頃からこの類いのジンクスが大好きで、誰かが「フォルクスワーゲンビートルを見た数だけいいことがある」と言えば必死で数え、挙げ句、家族で車に乗ってどこかへ出かける時などには「(ワーゲンを)最初に見つけた人にのみラッキーが訪れる」などという珍妙なルールまで作り上げ、当時は父母さえもその早い者勝ちゲームに夢中になったものだった。
高校生になった私は、心の隅ではばかばかしいと思いながらも、またもやジンクスゲームを始めてしまった。黄色になりかけの信号に飛び込んでゆく。それが楽しくてならない。右折車にクラクションを鳴らされようが、警官にピーッと笛を吹かれようがお構いなし。何か「いいこと」がほしい。できればいくつもほしい。今日仮に「いいこと」がなかったとしたら、多分「いいこと」は明日に繰り越されたんだろう。
今思えば「アンタ大丈夫?」と首を傾げたくなるような思い込みだが、当時の私は父母の離婚問題、またそれに伴う引っ越しや転校など様々な不安にまみれていたので、きっとひとつでも多くのラッキーを必要としていたのだと思う。
長々と愚にもつかないことを書き連ねてしまったけれど、本当にこの監督の作品を観るたびに、嬉々として黄色信号へと突っ込んでいったあの気持ちを思い出す。あの気持ち。多分わたしは身を賭して祈っていたのだろう。もしも車に轢かれても、ひょっとしたらわたしは笑ったのではないか。奇跡の海のベスのように。疲れ果て横たわったグレースのように。
ところで、この作品のラストシーン。わたしの中の「かくあるべきわたし」は項垂れていたが、「かくしておくべきわたし」は拍手喝采を送っていた。最近、自分の中に棲む荒馬に手を焼くことが多い。それにしても。ニコール・キッドマンは美しかったです。
誰が言い始めたのか憶えていないが、きっと迷信好きな友人が言ったんだろう「信号が黄色から赤に変わる間に横断歩道を渡れたら、その日はラッキーデーになるんだよ」。
わたしは小学生の頃からこの類いのジンクスが大好きで、誰かが「フォルクスワーゲンビートルを見た数だけいいことがある」と言えば必死で数え、挙げ句、家族で車に乗ってどこかへ出かける時などには「(ワーゲンを)最初に見つけた人にのみラッキーが訪れる」などという珍妙なルールまで作り上げ、当時は父母さえもその早い者勝ちゲームに夢中になったものだった。
高校生になった私は、心の隅ではばかばかしいと思いながらも、またもやジンクスゲームを始めてしまった。黄色になりかけの信号に飛び込んでゆく。それが楽しくてならない。右折車にクラクションを鳴らされようが、警官にピーッと笛を吹かれようがお構いなし。何か「いいこと」がほしい。できればいくつもほしい。今日仮に「いいこと」がなかったとしたら、多分「いいこと」は明日に繰り越されたんだろう。
今思えば「アンタ大丈夫?」と首を傾げたくなるような思い込みだが、当時の私は父母の離婚問題、またそれに伴う引っ越しや転校など様々な不安にまみれていたので、きっとひとつでも多くのラッキーを必要としていたのだと思う。
長々と愚にもつかないことを書き連ねてしまったけれど、本当にこの監督の作品を観るたびに、嬉々として黄色信号へと突っ込んでいったあの気持ちを思い出す。あの気持ち。多分わたしは身を賭して祈っていたのだろう。もしも車に轢かれても、ひょっとしたらわたしは笑ったのではないか。奇跡の海のベスのように。疲れ果て横たわったグレースのように。
ところで、この作品のラストシーン。わたしの中の「かくあるべきわたし」は項垂れていたが、「かくしておくべきわたし」は拍手喝采を送っていた。最近、自分の中に棲む荒馬に手を焼くことが多い。それにしても。ニコール・キッドマンは美しかったです。
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