ギンちゃん、愛してぬ。
2004年6月19日 虫 コメント (2)さて。冷凍のアカムシには見向きもせず、体もひとまわり小さくなってしかったかにも見えるギンちゃん。弱ったギンちゃんはイキのいいボウフラを、ちゃんと捕まえることができるのだろうか。
友人のくれたボウフラどもは、使わなくなった植木鉢の中に湧いていた。泥と落ち葉が底に沈んだなんとも汚い容れ物の中に「よくもこんなに!」という数のボウフラが泳いでいる。ギンちゃんは、いつの日にか(羽化する日)のために立てておいた棒に捕まって、じっとしている。
わたしはおもむろにその棒を掴み、ギンちゃんごとボウフラ天国の中へと入れてみた。相変わらずギンちゃんはほとんど動かない。却ってボウフラの方が元気がよく、ギンちゃんの体を突ついているような素振りさえ見える。まずい、ギンちゃんがやられてしまうかもしれない、そう思った瞬間だった。ギンちゃんはボウフラの方をトンボそっくりのあの大きな目でチロッと見た。と思ったら、
シュルッ!
目に見えない「何か」がギンちゃんの口の辺りから伸び、ボウフラを捕まえた。体長3-4センチのギンちゃんの体の長さと、同じくらいの距離を行って帰った「何か」だった。
ワオ!
幼少時にヤゴを飼ったことのあるわたしだけれど、こんな場面に遭遇したことは一度もない。興奮した。慌ててnetで「何か」がなんなのか、調べてみる。検索の結果、それが「下唇(かしん)」であることがわかる。ギンちゃんが家に来た日の晩、夫が「おうぇ、キモい!エイリアンみたい!」という感想を洩らしたが、まさにその通り。ギンちゃんは「エイリアン」とか「ギミック」とかに出てくるキモいキャラにそっくりなのだった。
こんなにもボウフラがいっぱいいる。エサに心配はない。わたしはギンちゃんも、他のヤゴと一緒の容れ物に入れて飼うことにした。…それが大間違いであるとはこれっぽっちも知らずに。
翌朝、ちいさなヤゴが一匹死んでいた。水が変わったせいなのだろうか。エサをたんまり用意したのに、ショックだった。14-1=13匹。
次の次の日の午後、「ギンちゃん、どう? もうトンボになりたくなっちゃった?」とかなんとか話しかけながら、容器を覗き込むと…。
ギンちゃんは小さなヤゴを捕まえてムシャムシャ食べていた。ギンちゃんにはボウフラよりもヤゴのほうがごちそうだったようだ。わたしはギンちゃんのいのちを愛しむ過程で重大な間違いをおかした。それはペットを擬人化する、という過ちだ。「ひとりぼっちでさみしいよね」そう思って仲間と一緒にしたつもりだったのだが、それはギンちゃんにとって「仲間と一緒!もうさみしくない!」という状態ではなく「やったー!ヤゴ食べ放題天国!」という状況に他ならなかったらしい。心の芯まで冷えきった、わたし。自己嫌悪に苛まれるわたし。ギンちゃんにこっぴどく裏切られたわたし。
ギンちゃん、愛してぬ。
ギンちゃんをもとの容器に戻した次の朝、年配の男性に意見を聞く機会があった。
「いいべ、それで。子どもたちも<共食い」を身をもって知った方がいいべ。泣くことないべ。それが世の中ってヤツなんだからよ。」
そういう考え方もあるのか、とびっくりした。どんなに慰めてもらっても、どこか心が晴れないんだけれど、めげずに育てていこうと思ったりして。
さっき、ギンちゃんを見てみたら、目が黒くなっていた。そろそろ旅立ちのときが近づいている印。
友人のくれたボウフラどもは、使わなくなった植木鉢の中に湧いていた。泥と落ち葉が底に沈んだなんとも汚い容れ物の中に「よくもこんなに!」という数のボウフラが泳いでいる。ギンちゃんは、いつの日にか(羽化する日)のために立てておいた棒に捕まって、じっとしている。
わたしはおもむろにその棒を掴み、ギンちゃんごとボウフラ天国の中へと入れてみた。相変わらずギンちゃんはほとんど動かない。却ってボウフラの方が元気がよく、ギンちゃんの体を突ついているような素振りさえ見える。まずい、ギンちゃんがやられてしまうかもしれない、そう思った瞬間だった。ギンちゃんはボウフラの方をトンボそっくりのあの大きな目でチロッと見た。と思ったら、
シュルッ!
目に見えない「何か」がギンちゃんの口の辺りから伸び、ボウフラを捕まえた。体長3-4センチのギンちゃんの体の長さと、同じくらいの距離を行って帰った「何か」だった。
ワオ!
幼少時にヤゴを飼ったことのあるわたしだけれど、こんな場面に遭遇したことは一度もない。興奮した。慌ててnetで「何か」がなんなのか、調べてみる。検索の結果、それが「下唇(かしん)」であることがわかる。ギンちゃんが家に来た日の晩、夫が「おうぇ、キモい!エイリアンみたい!」という感想を洩らしたが、まさにその通り。ギンちゃんは「エイリアン」とか「ギミック」とかに出てくるキモいキャラにそっくりなのだった。
こんなにもボウフラがいっぱいいる。エサに心配はない。わたしはギンちゃんも、他のヤゴと一緒の容れ物に入れて飼うことにした。…それが大間違いであるとはこれっぽっちも知らずに。
翌朝、ちいさなヤゴが一匹死んでいた。水が変わったせいなのだろうか。エサをたんまり用意したのに、ショックだった。14-1=13匹。
次の次の日の午後、「ギンちゃん、どう? もうトンボになりたくなっちゃった?」とかなんとか話しかけながら、容器を覗き込むと…。
ギンちゃんは小さなヤゴを捕まえてムシャムシャ食べていた。ギンちゃんにはボウフラよりもヤゴのほうがごちそうだったようだ。わたしはギンちゃんのいのちを愛しむ過程で重大な間違いをおかした。それはペットを擬人化する、という過ちだ。「ひとりぼっちでさみしいよね」そう思って仲間と一緒にしたつもりだったのだが、それはギンちゃんにとって「仲間と一緒!もうさみしくない!」という状態ではなく「やったー!ヤゴ食べ放題天国!」という状況に他ならなかったらしい。心の芯まで冷えきった、わたし。自己嫌悪に苛まれるわたし。ギンちゃんにこっぴどく裏切られたわたし。
ギンちゃん、愛してぬ。
ギンちゃんをもとの容器に戻した次の朝、年配の男性に意見を聞く機会があった。
「いいべ、それで。子どもたちも<共食い」を身をもって知った方がいいべ。泣くことないべ。それが世の中ってヤツなんだからよ。」
そういう考え方もあるのか、とびっくりした。どんなに慰めてもらっても、どこか心が晴れないんだけれど、めげずに育てていこうと思ったりして。
さっき、ギンちゃんを見てみたら、目が黒くなっていた。そろそろ旅立ちのときが近づいている印。
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