5月24日、オレンジ色のバラの花束を買った。花びらの間から元気よく飛び出した米粒大のバッタ。それがツユちゃんとの出会いだった。昆虫図鑑でもnetでもいろいろと調べてみたけれど、ツユちゃんが本当はなんという種類のバッタなのかわからなかった。こうなったら成体になるまで育てて、正体を突き止めてやる! そんな風に思って飼い始め、2ヶ月半の時が過ぎた。

オトナになる日は突然やってきた。夜寝て、朝起きてきたら、最後の脱皮が終わっていて、見慣れぬ大きな羽が堂々と伸びていた。驚愕した。もちろん家族も大騒ぎ。ツユムシかな?と思って「ツユちゃんツユちゃん」と呼んでいたが、育ってみれば、彼の正体はツユムシではなく、クサキリという種類のバッタだった。

最後の脱皮を終えてから忙しい日々が続き、娘たちは3泊4日のキャンプに出かけてしまった。昨日帰ってきたので、今日こそは河原にツユちゃんを放しに出かけ、お別れ式をしようと思っていた。

ところが今朝のことである。ツユちゃんは水槽から脱走し、それを捕獲しようとした母の手元が滑って後肢が一本取れてしまった。ツユちゃんをどうしたらいいだろう。今までも家族の中ではこのまま死ぬまで家で安全に飼いたいという意見の者と、わたしを筆頭に、いやいや例えどのような目に遭おうとも自然の中でありのままに思い切り生きた方がよいという者と意見は二分していた。

わたしが「ありのままに」と思っていたのは、ツユちゃんが五体満足だったからだ。今となっては…。できるだけ広い飼育ケースに土や草を入れて、自然に近い環境で生を全うできるよう尽力するのみ。ごめん、ツユちゃん。本当にごめん。

この間、トンボ(ヤゴ)を飼っていた時にも、同様の意見の相違が気にかかった。死生観がこんなところに表れる。いつも威勢のいいこと(いつ死んでも悔いなんかないよなど)を言っている母が案外「どこにもやらずにうちで飼おうよ。外に出したらあっという間に鳥に食べられちゃう。かわいそうだよ!」と真顔で言う。それに対し大抵わたしが「こんな狭い場所に閉じこめて、結婚も出来ずに死んじゃうなんて不幸せだよ!」と言うのだ。

この母が病気になって生き死にと真剣に向き合わざるを得なくなったとき、わたしはこの意見の相違を頭に入れて事態を検討しなくては…そんなふうに強く感じた。母は飼っていた金魚が死んでしまったときに、愛しさゆえにその遺体を冷凍庫で凍らせて長い間捨てることができなかった、そんな人なのだ。

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