昨日の読売新聞の朝刊におっぱいについての記事が出ていた。何年か前まではおっぱいは生後10ヶ月頃には断乳したほうがいいとされていたが、近年では子どもや母親の価値観に任せて自然にしたほうがいいというふうになってきたという。
いつだったか作家の室井佑○がテレビで言っていた「ウチの子、3才すぎてもまだおっぱい飲んでるんですよ。人が来ているときにも”ママ、ちょっと”とか言って、物陰に連れて行かれて授乳させられちゃう」。
長女におっぱいをあげていたころのわたしは「早くおっぱいなんてやめちゃいたい!ミルクにしてどこかに出かけたい!」とものすごく強く思っていた。夏の暑い盛り、無理矢理に断乳。喉が渇いて仕方がなかったんだろう、長女は泣き続けた。わたしも一緒に泣き続けた。つらいつらい思い出だ。
2番目の子の時にはまわりの人の意見に流され、生後4ヶ月でやめてしまった。しかし、粉ミルクに無理矢理変えられてしまった次女はアトピーになりじんましんを出した。おっぱいのほうが体に優しいなんて気が付いてあげられず、まずいアトピー用のミルクをあげ続けた。かわいそうだった。
3番目の子の時に、初めて「痛くないおっぱいマッサージ」に出会った。たまたま出産した助産院が桶谷式の母乳指導を行っていたから。しかし、桶谷式というのは食事指導がとても厳しい。炭水化物や野菜が主で、タンパク質の摂取について大変惑わされる。生後2ヶ月で顔中湿疹だらけになった3女をアトピー体質にしないため、以降1年以上豚肉や白身魚以外のタンパク質を断った。卵、牛乳の入ったもの、大豆の入った食べ物も断った。これが何を意味するか。ほとんどの食べ物を食べることができなくなったのだ。修行僧になったみたいな1年数ヶ月だった。
そして。自宅で自分で取り上げた4女。取り上げてくれた(後片付けしてくれた)助産士の方は桶谷流の先生だったが、全ての痛い思い出を払拭したかった。上のお姉ちゃんたちの体験で「いい」と思ったことを全てやり「これをすると気が狂う」と思ったことはやらなかった。今年の6月、2才9ヶ月でおっぱいを卒業した。おっぱいを飲む赤ちゃんは大抵乳首に吸い付いてしばらくすると眠ってしまう。起きている間は目と目を合わせて「いっぱい飲んでいっぱい飲んで」と励ますが、眠ってしまったらあとは読書の時間。添い寝しながら授乳していたからできた離れ業だったけど、たくさん本を読めた。体は家の中に閉じこめられていたけれど、心は随分遠くまで旅をした。食べ物も無理はしなかった。幸せだった。ついでに上の子たちにも謝っといた「本当はこうしたかったんだけど、できなかった。つらい思いをさせてごめんね」。何度も何度も謝った。
卒乳するときには自分の乳房に犬と猫の絵を描いた。乳首が鼻になった間抜けな顔の犬と猫。家族中が大爆笑。高校1年生の長女が「なんてバカなこと考えるの、あなたって!」。だっていやだったんだもん。こわい顔の絵を描いて子どもをこわがらせておっぱいにバイバイさせるの。母にも夫にも大笑いされたけど、これでよかった。4女はおっぱい犬とおっぱい猫をなでなで。自由におっぱいに触りながらかわいがりながら自然にさよならできた。
いとしい子どもが自分の乳房に吸い付いていたこと。オレンジ色のスタンドの明かりに照らされた満足そうな寝顔。心の芯を温めてくれる最良の思い出だ。末っ子はおっぱいをなぜだろう「にゃんま」と呼んでいた。
いつだったか作家の室井佑○がテレビで言っていた「ウチの子、3才すぎてもまだおっぱい飲んでるんですよ。人が来ているときにも”ママ、ちょっと”とか言って、物陰に連れて行かれて授乳させられちゃう」。
長女におっぱいをあげていたころのわたしは「早くおっぱいなんてやめちゃいたい!ミルクにしてどこかに出かけたい!」とものすごく強く思っていた。夏の暑い盛り、無理矢理に断乳。喉が渇いて仕方がなかったんだろう、長女は泣き続けた。わたしも一緒に泣き続けた。つらいつらい思い出だ。
2番目の子の時にはまわりの人の意見に流され、生後4ヶ月でやめてしまった。しかし、粉ミルクに無理矢理変えられてしまった次女はアトピーになりじんましんを出した。おっぱいのほうが体に優しいなんて気が付いてあげられず、まずいアトピー用のミルクをあげ続けた。かわいそうだった。
3番目の子の時に、初めて「痛くないおっぱいマッサージ」に出会った。たまたま出産した助産院が桶谷式の母乳指導を行っていたから。しかし、桶谷式というのは食事指導がとても厳しい。炭水化物や野菜が主で、タンパク質の摂取について大変惑わされる。生後2ヶ月で顔中湿疹だらけになった3女をアトピー体質にしないため、以降1年以上豚肉や白身魚以外のタンパク質を断った。卵、牛乳の入ったもの、大豆の入った食べ物も断った。これが何を意味するか。ほとんどの食べ物を食べることができなくなったのだ。修行僧になったみたいな1年数ヶ月だった。
そして。自宅で自分で取り上げた4女。取り上げてくれた(後片付けしてくれた)助産士の方は桶谷流の先生だったが、全ての痛い思い出を払拭したかった。上のお姉ちゃんたちの体験で「いい」と思ったことを全てやり「これをすると気が狂う」と思ったことはやらなかった。今年の6月、2才9ヶ月でおっぱいを卒業した。おっぱいを飲む赤ちゃんは大抵乳首に吸い付いてしばらくすると眠ってしまう。起きている間は目と目を合わせて「いっぱい飲んでいっぱい飲んで」と励ますが、眠ってしまったらあとは読書の時間。添い寝しながら授乳していたからできた離れ業だったけど、たくさん本を読めた。体は家の中に閉じこめられていたけれど、心は随分遠くまで旅をした。食べ物も無理はしなかった。幸せだった。ついでに上の子たちにも謝っといた「本当はこうしたかったんだけど、できなかった。つらい思いをさせてごめんね」。何度も何度も謝った。
卒乳するときには自分の乳房に犬と猫の絵を描いた。乳首が鼻になった間抜けな顔の犬と猫。家族中が大爆笑。高校1年生の長女が「なんてバカなこと考えるの、あなたって!」。だっていやだったんだもん。こわい顔の絵を描いて子どもをこわがらせておっぱいにバイバイさせるの。母にも夫にも大笑いされたけど、これでよかった。4女はおっぱい犬とおっぱい猫をなでなで。自由におっぱいに触りながらかわいがりながら自然にさよならできた。
いとしい子どもが自分の乳房に吸い付いていたこと。オレンジ色のスタンドの明かりに照らされた満足そうな寝顔。心の芯を温めてくれる最良の思い出だ。末っ子はおっぱいをなぜだろう「にゃんま」と呼んでいた。
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