★私と同じ黒い目のひと チベット旅の絵本/渡辺一枝
2005年2月23日 読書
***78pより抜粋***
私は、怒りたいときにもまず堪えて相手の立場を理解しようと努めていると、自分では思っていました。でも、考えてみたら、怒りを我慢するというのは100%怒っているのと同じことでした。
生きている間に出合うさまざまなこと、嬉しいことを喜び感謝して祈り、もし不幸に出合ったときにも、カルマ(運命)として受け入れ、そうした不幸が他の人を襲うことのないように祈り、また自分のこれからにもそうしたことが再び起きないようにと祈る彼らは、他のものに左右されない内なる平安をこそ、大切なものと考えるのでしょう。怒りを堪えるのではなく、怒りをも自身の内に受け入れてしまうこと、そうした強さの果てに優しさがあるのかと思います。旅の間に出会った人たちを、そして彼らの言葉を思い出しながら、そう思います。
***132-133pより抜粋***
みどりごに接吻し、頬を寄せる男の手は埃で黒く、袖口は垢を油にまみれています。泣き出した子に乳を含ませる女は、つい直前まで家畜糞を割り、かまどにそれをくべていたのです。孫を抱く爺婆も、妹や弟をあやす姉兄も、その手も服も汚れきっています。でも、それがどうしたというのでしょう。ここでは近代的な衛生観念よりも、人の絆が生命を育てていくのです。たった今赤ちゃんの頬を軽くつついて、「泣かないで、泣かないで」と言ったお兄ちゃんになったばかりの坊やは、そのすぐ後で、2日前に生まれた仔羊をいとしげに抱いて見せてくれました。身体中に喜びを溢れさせた少年の笑顔に「無垢」という言葉を噛みしめました。そして、いわゆる「文化的な生活」というものは、なんと多くのものを失わせてしまったのだろうと、遠い日の私たちの暮らしを思いました。
私は、怒りたいときにもまず堪えて相手の立場を理解しようと努めていると、自分では思っていました。でも、考えてみたら、怒りを我慢するというのは100%怒っているのと同じことでした。
生きている間に出合うさまざまなこと、嬉しいことを喜び感謝して祈り、もし不幸に出合ったときにも、カルマ(運命)として受け入れ、そうした不幸が他の人を襲うことのないように祈り、また自分のこれからにもそうしたことが再び起きないようにと祈る彼らは、他のものに左右されない内なる平安をこそ、大切なものと考えるのでしょう。怒りを堪えるのではなく、怒りをも自身の内に受け入れてしまうこと、そうした強さの果てに優しさがあるのかと思います。旅の間に出会った人たちを、そして彼らの言葉を思い出しながら、そう思います。
***132-133pより抜粋***
みどりごに接吻し、頬を寄せる男の手は埃で黒く、袖口は垢を油にまみれています。泣き出した子に乳を含ませる女は、つい直前まで家畜糞を割り、かまどにそれをくべていたのです。孫を抱く爺婆も、妹や弟をあやす姉兄も、その手も服も汚れきっています。でも、それがどうしたというのでしょう。ここでは近代的な衛生観念よりも、人の絆が生命を育てていくのです。たった今赤ちゃんの頬を軽くつついて、「泣かないで、泣かないで」と言ったお兄ちゃんになったばかりの坊やは、そのすぐ後で、2日前に生まれた仔羊をいとしげに抱いて見せてくれました。身体中に喜びを溢れさせた少年の笑顔に「無垢」という言葉を噛みしめました。そして、いわゆる「文化的な生活」というものは、なんと多くのものを失わせてしまったのだろうと、遠い日の私たちの暮らしを思いました。
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