椎名誠さん講演会覚え書き
行こうと思えばどこにでも行けたのだと思うけれど、意志が弱くて、困難な状況を乗り越えたり跳び越えたりはできなかった20年ほど前から、椎名誠にはとてもお世話になっていた。行ったこともない海べり川べりで焚き火を囲み、食べたことのない讃岐うどんを食べ、酒を飲み魚を喰らい……毎朝毎夕電車に揺られていたときも、赤ちゃんに乳を吸われていたときも、体はどこかに置いたまま、本の中で心は自由に探検隊と共に飛んで行けた。今思うと、それはストレスを解消する役に立っていたのかどうかわからない。もしかしたら自分の置かれた状況と引き比べて、却ってストレスを溜める素になっていたのかもわからない。
椎名誠の本を読んで自分の中に父性を育てていっていたんだなぁと、子育てを始めてから気が付いた。父親不在の現代家庭にあって、ただの「母さん」でいることは難しい。母親は、母であると同時に父の役割も担わなくてはならない場面が少なからずある。父親の愛をよくは知らない自分にとって椎名誠は温かい父、よい男のモデルとなってくれた。暴力的な前夫、わたしより力が弱く甘えん坊の現在の夫。現実はさておき、遠くでひそやかに光るともしびのような存在の椎名誠。ここ数年は著書を読んでいなかった。講演会に行けることになって、自分はなにかにがっかりしてしまうんじゃないかとちょっぴり心配だった。
でもそんな心配はまったくの杞憂で、1時間ちょっとの講演内容はとても素晴らしく、がっかりなんてとんでもないことだった。おまけに、声、顔の造作、日に焼けた肌、姿勢、贅肉のない体つき、笑顔、そういった話の中身以外のところも大変魅力的だった。
講演の内容は濃く、どの話も印象に残っている。この間の辻信一の講演のときと同じだけれど、いろんな物事とリンクしているので、「ああこういうことなのか」とあとになって判るようなこともあり、長く心の中で転がして味わっている。内容を全部ここに書きとめようと思うとなかなか手が動かなかったが、毎日毎日、川にどっぷりとはまって育ったわたしが忘れていたことを、鮮明に思い出させてくれたひとことがある。〜つづく〜
行こうと思えばどこにでも行けたのだと思うけれど、意志が弱くて、困難な状況を乗り越えたり跳び越えたりはできなかった20年ほど前から、椎名誠にはとてもお世話になっていた。行ったこともない海べり川べりで焚き火を囲み、食べたことのない讃岐うどんを食べ、酒を飲み魚を喰らい……毎朝毎夕電車に揺られていたときも、赤ちゃんに乳を吸われていたときも、体はどこかに置いたまま、本の中で心は自由に探検隊と共に飛んで行けた。今思うと、それはストレスを解消する役に立っていたのかどうかわからない。もしかしたら自分の置かれた状況と引き比べて、却ってストレスを溜める素になっていたのかもわからない。
椎名誠の本を読んで自分の中に父性を育てていっていたんだなぁと、子育てを始めてから気が付いた。父親不在の現代家庭にあって、ただの「母さん」でいることは難しい。母親は、母であると同時に父の役割も担わなくてはならない場面が少なからずある。父親の愛をよくは知らない自分にとって椎名誠は温かい父、よい男のモデルとなってくれた。暴力的な前夫、わたしより力が弱く甘えん坊の現在の夫。現実はさておき、遠くでひそやかに光るともしびのような存在の椎名誠。ここ数年は著書を読んでいなかった。講演会に行けることになって、自分はなにかにがっかりしてしまうんじゃないかとちょっぴり心配だった。
でもそんな心配はまったくの杞憂で、1時間ちょっとの講演内容はとても素晴らしく、がっかりなんてとんでもないことだった。おまけに、声、顔の造作、日に焼けた肌、姿勢、贅肉のない体つき、笑顔、そういった話の中身以外のところも大変魅力的だった。
講演の内容は濃く、どの話も印象に残っている。この間の辻信一の講演のときと同じだけれど、いろんな物事とリンクしているので、「ああこういうことなのか」とあとになって判るようなこともあり、長く心の中で転がして味わっている。内容を全部ここに書きとめようと思うとなかなか手が動かなかったが、毎日毎日、川にどっぷりとはまって育ったわたしが忘れていたことを、鮮明に思い出させてくれたひとことがある。〜つづく〜
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