普段はあまり庭や家の前の道路に長居しないんだけど、昨日は木を切り、植木鉢を移動し、睡蓮鉢に水を張り、周りに風知草やホスタなどを飾ったりしていたので(自分では夏を演出したつもり)かなり長い時間じっくりと外にいた。
お向かいの老夫婦、はす向かいの老夫婦、隣の老婦人(我が家は老人ストリートと呼ばれる通りにある)通りの向こうの顔見知りなどなど、いろんな人に声を掛けられた。体を抱くようにしてふれ合いながら話す人、風のようにあいさつだけで通り抜ける人、いろいろ。
家族が多いので、孤独を感じるヒマはない。ひとりで時間をつぶすことはとても得意。わざと意識して表に出ないと、いつまでもいつまでも家の中にいてしまう。だから食材をたっぷり買うのをやめている。からっぽの冷蔵庫だと、少なくとも毎日買い物に行く必然がある。今日からはもうひとつ「確実に水をやる」という任務が生じたので、少しゆっくり地面の上にいることになる。こうして自分に罠をかける。閉じないように、自分を他人という鏡に映せますように、心、風に梳かせますように。
お向かいの老夫婦、はす向かいの老夫婦、隣の老婦人(我が家は老人ストリートと呼ばれる通りにある)通りの向こうの顔見知りなどなど、いろんな人に声を掛けられた。体を抱くようにしてふれ合いながら話す人、風のようにあいさつだけで通り抜ける人、いろいろ。
家族が多いので、孤独を感じるヒマはない。ひとりで時間をつぶすことはとても得意。わざと意識して表に出ないと、いつまでもいつまでも家の中にいてしまう。だから食材をたっぷり買うのをやめている。からっぽの冷蔵庫だと、少なくとも毎日買い物に行く必然がある。今日からはもうひとつ「確実に水をやる」という任務が生じたので、少しゆっくり地面の上にいることになる。こうして自分に罠をかける。閉じないように、自分を他人という鏡に映せますように、心、風に梳かせますように。
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