あたしが進路をきっぱり決めるためには、対話が必要なのだと頭は了解しているものの、なかなか他の部分がいうことを聞かず、未だ実行していない。したがって「これでいいのかしらん」「これもいいのかもしらん」と、その都度答えが違ってしまう毎日を過ごしている。簡単なことを簡単にできないのは、他人からしてみればなんと愚かなことか。でも本人にとっては結構しんどいこと。でもこの「対話を持たない」ということも、実はあたしたちらしい選択肢のひとつなのかもしれないとも思う近頃。

いつも自分自身としゃべってばかりいても煮詰まるので、楽器を担いでお仲間数人と小学校から高校まで百人あまりの生徒がいる養護学校へ遊びにいってきた。音楽の授業で一緒に歌ったり、楽器体験のお手伝いをする。じっとして眠り込んでいる人あり、天井近くまで跳ね続ける人あり、握手魔やいろんな人がいた。

長女が幼い頃から最近まで、あたしの一番の悩みは「この子は普通じゃないんじゃないか」だった。そのことで長女が小学校時代には毎日泣いてばかりいて、ほとんどノイローゼ。中学高校と成長していくにつれ悩む回数は減ったが、どうしていいのかわからず相談機関に行くこともせず、そのままあの子は大きくなってしまった。でもこうして同年代の子どもたちとふれ合ってみると、感じる差はやはりある。生徒なのか先生なのか見分けがつかないという感想を持ちつつも、触れあってみると肌でわかるようなこと。

頭の中でいろいろ考えていることと、実際に行って見て感じることをまた思い知る。長女のことで思い悩んでいた日々は、行動することであっという間に解決していたのかもしれない。あたしはドアを開けずに内側でこわがっていてばかりいたが、時を経て訪れた場所はあたたかな人の輪でできた優しい場所だった。結果どうなるにせよ、あのドアを開けることができていたら泣く回数が減ったことは間違いない。

もうひとつ。

あたしがいつも子どもたちと参加している非営利団体での活動。そこはとても窮屈な団体だ。時間に追われ、子どもを叱りとばし、役員を選出するときは仲間をハメるような真似を毎年する。それがいやなのでいつもなにかしらの役割をしてきたが、体裁を繕ったり、規則をはずれると子どもの前で大声で叱りとばされたりとストレスも多かった。ストレスをおぼえても、それを補ってあまりあるよいところがあるって信じてきた。

でも。

言葉じゃない、規則じゃない、音楽だったり、好きなことを間に挟んでの活動の楽しさを経験するたび「これだよね」と痛感する。世の中好きなことばかりやって生きるのは難しい。でも苦しいことばかりもしんどい。なんとかしていきいき生きられないものか。

結局帰り道はまた自問自答になっちゃいました。

コメント

ゆにぞん
ゆにぞん
2007年2月17日13:26

ひょっとして苦労させすぎたのかしらね…(^^;

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