ずいぶん前に誰かが話してくれたことを時々思い出す。ここ最近は、以前何度か取材させていただいたカウンセラーの話をよく思い出す。

「先生がわたしくらいの年齢の時には、どんなことを考えどんな風に暮らしていらっしゃいましたか?振り返ってみると人生の中ではどんな時期でしたか?」と雑談の中で問うてみたところ、「そうね、興味を持ってチャレンジしていたいろんなものがだんだん淘汰されていった時期だったと思うわ。人ってやっぱりいくつもいくつもできないの。できるけど ”満足感をもって” できることはそんなにいっぺんにたくさん持ちきれないなぁって感じ始めた頃だった。今の仕事を選んだのもあなたの年齢の頃よ」。こじんまりしたカフェから駅までの道すがら、考え考え先生は話してくれた。

今、所属している団体の登録更新期日が迫っている。子どものため、また自らの成長の場になると思い、途中2年ほど休んだことはあるものの十年ほど続けてきた活動をやめようと思っている。理由はいろいろあるんだけど、その団体でがんばっている年配の女性との、根本的な価値観の違いが一番大きい。

例えばボランティア活動のこと。ボランティアって街角で制服着て、赤い羽根をばらまきながら声を張り上げることだろうか。老人ホームを訪れ、眠っている人を無理矢理車いすで連れてきて折り紙を一緒に折ることだろうか。4日間で純利益20万円を死にものぐるいであげ、その一部を寄付することだろうか。

楽器を習い始めてこの夏で2年になる。サークルであちこち訪問し、下手くそながらも交流するとなんとも言えない豊かな気持ちになる。なんでかなぁって考えてみると、理由は簡単。相手も自分もうれしいからみたい。相手がうれしいのが自分にわかり、自分がうれしいのが相手に伝わるから。ボランティアって言葉自体が恥ずかしいけど、こういうのが分相応の奉仕じゃないかなぁって感じる。なんの活動費もいらないのに、規則にしばられ叱りとばされることもなく、みんなにこにこ笑顔で…。

二十数人の会員がいるサークルなので、会を持続するためにはそれなりの煩雑な事柄をやりくりしなくてはならないが、みな人に押しつけることなく思いやりを持って少しずつ負担し合っている。もちろん変わった人もいたりするんだけど、個性のかたまりもふんわり包容してくれている。なにかをやるときに楽しいことばかりではないのは当たり前。でも好きなことなら苦労も苦しくない。

時間もお金も限られた分しか使えないんだもの。あたしもきっぱりいくつも持つのをやめよう。子どもたちも賛成してくれていて、一緒に移動してくるとのこと。本当だと信じられるものを追いかけてみよう。

コメント

ドッグナイト
ドッグナイト
2007年3月6日1:17

ごめんね、冷たいようだけど不向きなんだと思うよ。無理は自然と背中合わせではあるけれど、複数で何かをスルというは、すべからず、君の話す悩みがつきまとうよね。問題は君の中にあることも忘れないで欲しい。あえて君だから書いてみます。
-僭越-(一。一;;)

ゆにぞん
ゆにぞん
2007年3月6日8:31

うん。本当にそう思います。その苦手な「複数でする」を克服したくて挑戦してきた十数年だったけど、演技に演技を重ねて繕ってきただけのような気もする。不向きをさらに思い知ったあたしのこの先は…。

耳に少々痛いことをあえて言葉にしてくれる存在ってありがたいものです。ありがとう。

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