100本ほどのメタセコイア
2007年6月11日
今日も早朝の散歩には出遅れてしまった。いつものように午前11:00にアスファルトに囲まれた自宅を出て、熱い風と太陽に目を細めながら車に乗り込む。走ること15分、公園のゲートをくぐって駐車。歩き始める。水や緑のじゅうたん、しっとり雨に湿った土を抜けてくる風は別天地を思わせる。しろつめ草が満開、甘い香り。
”満たされない心があるのなら自分だけの木を持つことだ”って大分前に読んだ。でもその木のそばに立つと涙があふれてくるような木じゃないとだめだって。今日、初めてそんな木に出会ったかもしれない。毎日通り過ぎていたけど、今日までそうだと気がつかなかった。100本ほどのメタセコイア。どうしてあたしは1本ではなく100本も必要とするのか。
あたしの懺悔を支えるのには1本じゃ足りないからか。
罪を思いました。最近自分が享受している間接的な愛情を思いました。さまざまな行きずりの人々と話しました。また車に乗りました。犬の足を拭いて家に入りました。少し疲れました。少し休もう。
”満たされない心があるのなら自分だけの木を持つことだ”って大分前に読んだ。でもその木のそばに立つと涙があふれてくるような木じゃないとだめだって。今日、初めてそんな木に出会ったかもしれない。毎日通り過ぎていたけど、今日までそうだと気がつかなかった。100本ほどのメタセコイア。どうしてあたしは1本ではなく100本も必要とするのか。
あたしの懺悔を支えるのには1本じゃ足りないからか。
罪を思いました。最近自分が享受している間接的な愛情を思いました。さまざまな行きずりの人々と話しました。また車に乗りました。犬の足を拭いて家に入りました。少し疲れました。少し休もう。
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