よっぽど確かな存在

2007年10月12日
自転車での通勤を再開してしばらく経つ。道の上に脇に頭上に様々なものを見つける。もこもこ走る毛虫、案外近くまで寄っても平気なスズメたち。死んで日々水分を失っていくヒキガエル。ホバリングしながら蜜吸う星蜂雀。ベニカナメの植え込み奥に透けて見えていた曼珠沙華の群生は見頃を終えた。夕暮れの時間が日に日に早くなる。こうもりが輪を描いているのをのんびり見られるのもあと少しのこと。まるいのや細長いおびただしい数のどんぐりを踏み付けながらあたしは走る走る。

気持ちよく坂道を降りる。「この坂を帰りには上がんなくっちゃいけないのか」とかいうつまらないことは考えない。「坂道を上がるのに苦労したから帰りに楽ができるよね」というくだらないことも考えない。ひゃっほうと降りてうんしょうんしょと上がるだけ。

物事に意味を見いださずに生きるのはつまらない。だけどこじつけすぎたら本当に疲れる。あれこれ考えないで今はいいです。またそのうちにどこかのベンチに座って、自分の背負っている経験リュックの中からピースを取りだし並べてみよう。こんなのいらないって思っていたやつが、思いがけず探していたピースで、ピッタリの置き場所があったら言うんでしょう?「世の中に無駄なことなんかない」と。

そういえば自転車を漕ぎながら最近気がついたことがある。

金木犀のこと。どうして毎年この花が咲くと切ない気持ちになっていたのかわかったみたい。それはこの花のことが好きすぎて、すぐに来る別れが(本当にあっという間に散る)悲しかったから。花が咲く前から花の散ることが悲しかった。

でも考えてみれば丈夫な木犀が枯れることなどほとんどなく、彼らのほうがあたしよりもよっぽど「確か」な存在なのだった。毎年同じ時期に花を咲かせる約束をよく守る。あたしは安心していていいんだとわかったから、もう今年から胸をきゅんとさせないで、にっこり笑いながら木の下で深呼吸してればいい。今年が終わったらまた一年後を半ば忘れながら待てばいい。

悲しいことや難しそうなこと、いろんなことは本当は簡単なことなのかもしれないのでした。

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