いのちの重さ

2007年12月4日
ピヨルが死んで1週間余。わたしは自分を折にふれては責めた。責めても生き返りはしない。長女とは犬の散歩のときにピヨルの死を話し合った。でも他のむすめたちはこの7日余りの日々、ピヨルについて話さなかった。それはおかしい。みんなで話さなければいけないと思っていた。なにかのきっかけで自然に話し合うときがくるだろうと待っていた。

ある日ついにその時間が訪れた。上手に子どもたちは自分の気持ちを話せず、想いが言葉にならず泣いていた。涙がおさまった頃、ひとつ約束をしてごはんを食べてお風呂に入ってそして眠った。わたしたち家族の心にある形のない約束を、断続的にみんな思い出して生きていくだろうと思う。

魚が死ぬ。ねずみが死ぬ。ゴキブリがコバエが死ぬ。あたしが死ぬ。

いのちには重さがない(はず)。空気のようにふわふわとした魂。みんな同じはずなのになぜあるものの死は人を泣かせ、あるものの死は人を安堵させ、遠くにある死は人の心をそよとも揺るがすことがないのか。

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