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「だめ」になる
2008年1月11日
しばらく「だめ」になっていた。2007年最後1ヶ月は、大変精神的にも肉体的にもハードな毎日。どちらも同じくらいダメージをくらっていて、ついに「だめ」に。2週間ほどゆるい日々を送ったので、かなり回復した。機械の体がほしいと時々思ったりする近頃。メーテル。
ここ最近、70才くらいの年齢の方々と共同作業をする場面が多く、ジェネレーションギャップに戸惑うことが多い。ただ単にわたしが常識知らずの恥知らずなだけだろうか。あらゆる場面で相棒を作り「あたしはだいじょぶか」と常に確かめ合わねばならない宿命なのだろうか。もうじき40才に手が届きそうなのに、どうしてわたしはまだ大人になっていないのだろう。悲しい。
今日は横浜で打ち合わせがあった。ここでも70才くらいの女性と丁々発止のやりとりをした。最終的には自分に非はないけど、謝った。そして助けを乞うた。
紅く明るい中華街。栗を煎る甘い香り、非日常的な時間の使い方を心がける人の群れ、笑顔で他者を値踏みする瞳。赤い提灯、倒れた福の字。ひりひりする心を潤す数煎の茶。この最後の文章にしかよいことを見つけられていないということの意味は、やはりまだ本調子じゃないってことかもしれない。
寝る。
ここ最近、70才くらいの年齢の方々と共同作業をする場面が多く、ジェネレーションギャップに戸惑うことが多い。ただ単にわたしが常識知らずの恥知らずなだけだろうか。あらゆる場面で相棒を作り「あたしはだいじょぶか」と常に確かめ合わねばならない宿命なのだろうか。もうじき40才に手が届きそうなのに、どうしてわたしはまだ大人になっていないのだろう。悲しい。
今日は横浜で打ち合わせがあった。ここでも70才くらいの女性と丁々発止のやりとりをした。最終的には自分に非はないけど、謝った。そして助けを乞うた。
紅く明るい中華街。栗を煎る甘い香り、非日常的な時間の使い方を心がける人の群れ、笑顔で他者を値踏みする瞳。赤い提灯、倒れた福の字。ひりひりする心を潤す数煎の茶。この最後の文章にしかよいことを見つけられていないということの意味は、やはりまだ本調子じゃないってことかもしれない。
寝る。
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