〜つづき〜
それは「3分間だけのために作られた食器で食事をすることの貧しさ」という言葉。その言葉を聞いたときものすごく鮮明に幼い頃のわたしたちを思い出した。小学校から家まで約4キロの道のりが川伝いだったし、家の三方を囲む長い土手の向こうが大きな川だったので、わたしやその兄弟、友達はヒマさえあれば川で遊んでいた。メダカやハヤやオイカワ、イモリ、オタマジャクシ、ヒル、ヘビ、カエル、昆虫、生きたまま捨てられた子猫、エロ本、タバコ、痴漢、釣り人、河原にはいろんなものがあって飽きることがなかった。

川でわたしたちは、多少危険な目に遭ったり、生死に触れたり、困ったり笑ったりして毎日を過ごしていたんだけれど、大体川に遊びに行こう!と言って示し合わせて出かけたことはほとんどなく、いつもなんのきなくちょっと寄ってみるという感覚だった。なので慢性的に生け捕りにした生き物の容れ物に困っていて、プラスティックの使い捨てのコップや穴の空いていないビニール袋を見つけると、それはそれはうれしくて。どんなふうに表現したらいいのか、もうとにかくゴミがいとしかったのだ。その容器に、水がないと死んでしまう生き物を入れて、意気揚々と家に帰るわたしたち。そのときの情景、気持ち、そういった忘れかけていたものがぱーっと一瞬のうちに蘇ってきて、今の自分が恥ずかしくなった。悲しい気持ちになってしまった。

講演会を聴き、椎名誠・渡辺一枝夫婦の書いた本を読んだあと、100均の品物を見てすら悲しくなってしまった。もしかしたらチベットやどこかの大木から作られているんじゃないのか、などと思えてきて。

でもくよくよとひとりで思い悩んでも仕方のないこと。自分は自分なりにいろんなものと折り合って暮らしていく。忙しくて気が狂いそうなときには時間を買うのだろうし、貧しくて余裕のないときには安くて冷たい品物を買うだろう。けれどそうでないときには、あの頃のようにいろんなものに長い命を吹き込みたい。丁寧に、うそのない暮らしをしていけたらなぁ、胸の中でひっそり固くそう思った。                 
椎名誠さん講演会覚え書き

行こうと思えばどこにでも行けたのだと思うけれど、意志が弱くて、困難な状況を乗り越えたり跳び越えたりはできなかった20年ほど前から、椎名誠にはとてもお世話になっていた。行ったこともない海べり川べりで焚き火を囲み、食べたことのない讃岐うどんを食べ、酒を飲み魚を喰らい……毎朝毎夕電車に揺られていたときも、赤ちゃんに乳を吸われていたときも、体はどこかに置いたまま、本の中で心は自由に探検隊と共に飛んで行けた。今思うと、それはストレスを解消する役に立っていたのかどうかわからない。もしかしたら自分の置かれた状況と引き比べて、却ってストレスを溜める素になっていたのかもわからない。

椎名誠の本を読んで自分の中に父性を育てていっていたんだなぁと、子育てを始めてから気が付いた。父親不在の現代家庭にあって、ただの「母さん」でいることは難しい。母親は、母であると同時に父の役割も担わなくてはならない場面が少なからずある。父親の愛をよくは知らない自分にとって椎名誠は温かい父、よい男のモデルとなってくれた。暴力的な前夫、わたしより力が弱く甘えん坊の現在の夫。現実はさておき、遠くでひそやかに光るともしびのような存在の椎名誠。ここ数年は著書を読んでいなかった。講演会に行けることになって、自分はなにかにがっかりしてしまうんじゃないかとちょっぴり心配だった。

でもそんな心配はまったくの杞憂で、1時間ちょっとの講演内容はとても素晴らしく、がっかりなんてとんでもないことだった。おまけに、声、顔の造作、日に焼けた肌、姿勢、贅肉のない体つき、笑顔、そういった話の中身以外のところも大変魅力的だった。

講演の内容は濃く、どの話も印象に残っている。この間の辻信一の講演のときと同じだけれど、いろんな物事とリンクしているので、「ああこういうことなのか」とあとになって判るようなこともあり、長く心の中で転がして味わっている。内容を全部ここに書きとめようと思うとなかなか手が動かなかったが、毎日毎日、川にどっぷりとはまって育ったわたしが忘れていたことを、鮮明に思い出させてくれたひとことがある。〜つづく〜
     
***78pより抜粋***

私は、怒りたいときにもまず堪えて相手の立場を理解しようと努めていると、自分では思っていました。でも、考えてみたら、怒りを我慢するというのは100%怒っているのと同じことでした。
 生きている間に出合うさまざまなこと、嬉しいことを喜び感謝して祈り、もし不幸に出合ったときにも、カルマ(運命)として受け入れ、そうした不幸が他の人を襲うことのないように祈り、また自分のこれからにもそうしたことが再び起きないようにと祈る彼らは、他のものに左右されない内なる平安をこそ、大切なものと考えるのでしょう。怒りを堪えるのではなく、怒りをも自身の内に受け入れてしまうこと、そうした強さの果てに優しさがあるのかと思います。旅の間に出会った人たちを、そして彼らの言葉を思い出しながら、そう思います。

***132-133pより抜粋***

みどりごに接吻し、頬を寄せる男の手は埃で黒く、袖口は垢を油にまみれています。泣き出した子に乳を含ませる女は、つい直前まで家畜糞を割り、かまどにそれをくべていたのです。孫を抱く爺婆も、妹や弟をあやす姉兄も、その手も服も汚れきっています。でも、それがどうしたというのでしょう。ここでは近代的な衛生観念よりも、人の絆が生命を育てていくのです。たった今赤ちゃんの頬を軽くつついて、「泣かないで、泣かないで」と言ったお兄ちゃんになったばかりの坊やは、そのすぐ後で、2日前に生まれた仔羊をいとしげに抱いて見せてくれました。身体中に喜びを溢れさせた少年の笑顔に「無垢」という言葉を噛みしめました。そして、いわゆる「文化的な生活」というものは、なんと多くのものを失わせてしまったのだろうと、遠い日の私たちの暮らしを思いました。                      
                  
                          

★朗読者

2005年2月12日 読書
抜粋

なぜだろう? どうして、かつてはすばらしかったできごとが、そこに醜い真実が隠されていたというだけで、回想の中でもずたずたにされてしまうのだろう? 〜中略〜 でもたしかに幸せだったのだ! 苦しい結末を迎えてしまうと、思い出もその幸福を忠実には伝えないのか? 幸せというのはそれが永久に続く場合にのみ本物だというのか? 辛い結末に終わった人間関係はすべて辛い体験に分類されてしまうのか? たとえその辛さを当初意識せず、何も気づいていなかったとしても? でも意識せず、認識もできない痛みというのはいったいなんなんだろう?

♪♪♪

2005年2月12日 趣味
                     

Krik? Krak!

2005年2月12日 読書
                   
            
                   
                     

★草笛の音次郎

2005年2月11日 読書
              

★蒼龍

2005年2月11日 読書
                    
               

★喜知次

2005年2月11日 読書
                 

霧の橋

2005年2月11日 読書
                 

五年の梅

2005年2月11日 読書
              

★ぼんやり

2005年2月9日 音楽
一番小さな娘がまた風邪を拾ってしまった。熱はないものの、鼻水を垂らし、夜は頭を枕につけてからしばらくむせるような咳が止まらない。一緒の布団に入り背中をさすり、咳止めが効いてくるのを待つ。咳を顔に受けながら「ママにうつしちゃいな。そんでトンは早くよくなりな」と言ったら、同居の母も昼間そう言っていたと教えてくれた。肩代わりできるものなら、そのほうがよっぽど楽。鼻をつまらせ、咳をしているのを見聞きしているだけで、こちらまで息が苦しくなってくる。

深淵

2005年2月8日 読書
                  

神聖喜劇

2005年2月8日 読書
            

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