年末の疲れを元旦から3日までゆっくりと癒した。自分にとって一番気持ちいいことをして過ごしたのだ。掃除読書長風呂掃除読書長風呂掃除読書長風呂、そしておいしいものを少々、緑の道沿いに散歩を少々。夫と子どもらと合流するまでの3日間、わたしは何をしても自由。
いつもと違う時間を楽しむ選択肢はいくつかあったんだけど、自分が芯からやりたいなと思ったことは、なんだか文字にするとわびしい普通のことばかり。大掃除でし残した場所をきれいに磨き上げ、集中力がなければ深く読み込めない本を読み、風呂で体や髪にいつもより気を使ってやり、自分のペース(大きなストライド)で歩く散歩。それと…ここだけの話。笑わないでほしい。2日にテレビ東京でやっていた超長編時代劇を最初から最後までリアルタイムで観てしまった。自分でも「よく全部観たね」って思います、ホント。
唯レイコさんの日記の「元旦に掃除をすると福が…」というところを読んだ時にはもう手遅れ。わたしの福は拭かれて掃かれて流されて…。いいでしょういいでしょう、その分余計に呼び込みましょう。
4日の朝、電車で2時間ほどの距離にある街の駅に到着。夫の実家、わたしの実家のある街。新年会に参加してしばらく経った頃、異変は起こった。長女が涙を流して痛みを訴えはじめる。発熱、腹痛、頭痛、悪寒。続いて次女、三女四女も同様に。バタバタと荷物をまとめてホームタウンへ帰る車中は地獄絵図。うめき声や泣き声を発し、体をくの字にまげた女の子×4人。
渋滞に巻き込まれ、地元に帰り着いたのは19:00過ぎ。かかりつけの医院や近隣の病院は閉まっていた。そのまま救急医療センターへ。おなかにくる風邪を仲良くもらってしまったようだ。念のため、インフルエンザの検査もしてもらった。結果はシロ。インフルエンザでなくて本当によかったけれど、この冬風邪もなかなかしんどいもの。
今日になって症状は落ち着いてホッと一安心。きれいになった部屋とか、静けさよ、さようなら。日常が始まる。
いつもと違う時間を楽しむ選択肢はいくつかあったんだけど、自分が芯からやりたいなと思ったことは、なんだか文字にするとわびしい普通のことばかり。大掃除でし残した場所をきれいに磨き上げ、集中力がなければ深く読み込めない本を読み、風呂で体や髪にいつもより気を使ってやり、自分のペース(大きなストライド)で歩く散歩。それと…ここだけの話。笑わないでほしい。2日にテレビ東京でやっていた超長編時代劇を最初から最後までリアルタイムで観てしまった。自分でも「よく全部観たね」って思います、ホント。
唯レイコさんの日記の「元旦に掃除をすると福が…」というところを読んだ時にはもう手遅れ。わたしの福は拭かれて掃かれて流されて…。いいでしょういいでしょう、その分余計に呼び込みましょう。
4日の朝、電車で2時間ほどの距離にある街の駅に到着。夫の実家、わたしの実家のある街。新年会に参加してしばらく経った頃、異変は起こった。長女が涙を流して痛みを訴えはじめる。発熱、腹痛、頭痛、悪寒。続いて次女、三女四女も同様に。バタバタと荷物をまとめてホームタウンへ帰る車中は地獄絵図。うめき声や泣き声を発し、体をくの字にまげた女の子×4人。
渋滞に巻き込まれ、地元に帰り着いたのは19:00過ぎ。かかりつけの医院や近隣の病院は閉まっていた。そのまま救急医療センターへ。おなかにくる風邪を仲良くもらってしまったようだ。念のため、インフルエンザの検査もしてもらった。結果はシロ。インフルエンザでなくて本当によかったけれど、この冬風邪もなかなかしんどいもの。
今日になって症状は落ち着いてホッと一安心。きれいになった部屋とか、静けさよ、さようなら。日常が始まる。
新しい年がやってきた。どうか今年の一年は、「災」で表されるような一年ではありませんように。万が一、また災いが降りかかってこようとも、なんとか(あるいは余裕で)それを乗り越えられますように。みんな、誰かの大事な人。大事な人が大事な人を守り合う、大きな輪っかの中で暮らせますように、みんなが。心の底から笑えますように。頼むよ、2005。
Memento mori
2004年12月17日 心
何日か前、新聞に出ていた雑誌の広告を隅から隅まで丁寧に読んでしまった。確か文藝春秋の「各界著名人58名が望む理想の死に方 三笠宮殿下、瀬戸内寂聴からフジ子・へミング、ダライ・ラマまで」というもの。各人のひと言ずつが見出し風に載せられていた。
死を思わない日はない。
こうして文章を書きながら過去を振り返り、死を思わなかった日を探すのだが見つからない。幼少の頃から死を想うのが癖になっているようなのだ。苦しい時には死んだら楽になるだろうかと思い、うれしい時にはこのまま死んでしまいたいくらいと思い、悲しいときにも、絶頂の中にいるときですら、死はピッタリとわたしに寄り添っている。
死ぬチャンスを狙っている、とかいうのではない。ただ想像するのだ、自分の終わりを。生をプロデュースするのに似ている。命を自分の体から送り出すときに、このようなスタイルで、このような照明で、このような状況で、とプランを練る。実際には全てが思い通りになるわけでは決してないんだけれど(生まれてくる方にも都合があるから)自分が主人公の物語を演出するのは、大変やりがいのある仕事だ。
ひどい痛みを死と関連づけて考えてみる。例えば抜歯。例えば怪我。例えば出産。あれこれと自分の思考を操ることができるうちは、真の死から遠い場所にいる時かもしれないと思う。痛みの中にあって「神様、助けて!」とか「お願い、早くここから逃がして!」と頭の中の声が叫んでいるときは頂点ではない。てっぺんは真っ白だ。
死に届く瞬間はきっと真っ白なんじゃないか、と思うから、今、死を思っておくのは悪いことじゃないな。でも一瞬一瞬を大切に、なんて力まなくてもいい。ただ自分の価値観からはずれることは極力せずに、信念を貫きながら静かに激しく生き続けていくこと、うまく表現できないけれどこんなようなことを大切にメメントモリ。先に逝った誰かを胸の中に温めながらメメントモリ。
死を思わない日はない。
こうして文章を書きながら過去を振り返り、死を思わなかった日を探すのだが見つからない。幼少の頃から死を想うのが癖になっているようなのだ。苦しい時には死んだら楽になるだろうかと思い、うれしい時にはこのまま死んでしまいたいくらいと思い、悲しいときにも、絶頂の中にいるときですら、死はピッタリとわたしに寄り添っている。
死ぬチャンスを狙っている、とかいうのではない。ただ想像するのだ、自分の終わりを。生をプロデュースするのに似ている。命を自分の体から送り出すときに、このようなスタイルで、このような照明で、このような状況で、とプランを練る。実際には全てが思い通りになるわけでは決してないんだけれど(生まれてくる方にも都合があるから)自分が主人公の物語を演出するのは、大変やりがいのある仕事だ。
ひどい痛みを死と関連づけて考えてみる。例えば抜歯。例えば怪我。例えば出産。あれこれと自分の思考を操ることができるうちは、真の死から遠い場所にいる時かもしれないと思う。痛みの中にあって「神様、助けて!」とか「お願い、早くここから逃がして!」と頭の中の声が叫んでいるときは頂点ではない。てっぺんは真っ白だ。
死に届く瞬間はきっと真っ白なんじゃないか、と思うから、今、死を思っておくのは悪いことじゃないな。でも一瞬一瞬を大切に、なんて力まなくてもいい。ただ自分の価値観からはずれることは極力せずに、信念を貫きながら静かに激しく生き続けていくこと、うまく表現できないけれどこんなようなことを大切にメメントモリ。先に逝った誰かを胸の中に温めながらメメントモリ。
A ghost from the past
2004年12月15日 痛
見覚えのある写真。腫れぼったい瞼、色白の顔、大きめの鼻。首をすくめて、媚びるように笑う癖。仲がよかったことは一度もないのだが、小学校中学校の9年間、同じ建物の中で過ごしたのだ。顔をひとたび見れば、たちまちいろいろなことを思い出す。ましてやその顔写真は、中学校の卒業アルバムのものだったのだから。
殺人未遂で逮捕。
人は変わってしまうのだろうか。女も男も成長するうちに、きれいさっぱり子ども時代を捨ててしまうのだろうか。事件の報道を聞きながら、頭の中のモニタに映し出されるのは15才のままの彼女。首をすくめながらおどけて笑ってみせる彼女が、慌てふためきながら逃げるさまを思う。涙が出る。鬼と化し、泣き叫ぶ我が子に何度も斬りかかる姿を思う。胸が痛い痛い痛い。
殺人未遂で逮捕。
人は変わってしまうのだろうか。女も男も成長するうちに、きれいさっぱり子ども時代を捨ててしまうのだろうか。事件の報道を聞きながら、頭の中のモニタに映し出されるのは15才のままの彼女。首をすくめながらおどけて笑ってみせる彼女が、慌てふためきながら逃げるさまを思う。涙が出る。鬼と化し、泣き叫ぶ我が子に何度も斬りかかる姿を思う。胸が痛い痛い痛い。
Time medicine
2004年12月13日 心
上半身だけが急いでも、体はひとつ、下半身がついてこない。頭がわかっていても、心は判ってくれない。心がわかっても、理性が邪魔をする。具合が悪いのに、雨の中を寒さに震えながら歩く。苦しいはずなのに、身のうちのどこかで冷めた目が自分自身を見つめている。苦しみのちょいと向こうの幸せの様子を、経験が耳の奥で囁いている。
全く、厄介、自分ってやつは。
ずーっと飲み続けてきた「時間薬」が処方されなくなって久しい。おまけに「生きててよかった」とか思う始末。
全く、厄介、自分ってやつは。
全く、厄介、自分ってやつは。
ずーっと飲み続けてきた「時間薬」が処方されなくなって久しい。おまけに「生きててよかった」とか思う始末。
全く、厄介、自分ってやつは。
Hyachinthus
2004年12月12日 趣味
お風呂に1時間半くらい浸かってた。本も読まずに、ボーっと。特別な何かを思いもしなかった。時折、温度を調節しながら、顔をやさしく洗いながら、ひたすらひたすらに腰を温めた。あーあもう、ここから出ることすらだるい。
湯からあがりながら、小学校の時にみんなで育ててたヒヤシンスの球根のことをチラッと考えた。水の中に根を伸ばしてる最中、もしかしたらこんな心持ちだったのかなぁ、と。あーあもう、ここから出ることすらだるい。
湯からあがりながら、小学校の時にみんなで育ててたヒヤシンスの球根のことをチラッと考えた。水の中に根を伸ばしてる最中、もしかしたらこんな心持ちだったのかなぁ、と。あーあもう、ここから出ることすらだるい。
〜moya〜moya〜
2004年12月9日なーんか。モヤモヤするの。
おなかに力が入らないの。
楽しくないの。
立っていても。
座っていても。
寝そべっていても。
電話していても。
文字をこねくり回していても。
なーんか。気が乗らないの。
なんだかねぇ、今日は。
おなかに力が入らないの。
楽しくないの。
立っていても。
座っていても。
寝そべっていても。
電話していても。
文字をこねくり回していても。
なーんか。気が乗らないの。
なんだかねぇ、今日は。
わたしはブルーベリーの木が数ある樹木の中で一番好きだ。今、この晩秋から初冬のブルーベリーの木は、燃えるように真っ赤に紅葉している。これから冬が深まるにつれて葉を落とし裸になる。春になると息絶えたかのように見えていた枝の先から若芽が萌え、そしてスズランのような白く可憐な花をつける。忙しそうに飛び回るミツバチには知らん顔で緑の葉をどんどん広げていき、梅雨時、みどり色した固い実が鈴なりになる。大体、夏真っ盛りが収穫時期。朝早く、静けさの中で出会う露にぬれた実を洗わずに口の中へ。前の日が雨だと水っぽい味がする。しかし、かんかん照りのあとの実の味は格別で、甘さと酸っぱさがぎゅっと凝縮された素晴らしい味わいだ。
一年の四季の移ろいを自分のリズムでしっかりと刻んでいて、共に生きる者の目を楽しませ、果実まで与えてくれる。ブルーベリーの木のそういうところが大好きなのです。
一年の四季の移ろいを自分のリズムでしっかりと刻んでいて、共に生きる者の目を楽しませ、果実まで与えてくれる。ブルーベリーの木のそういうところが大好きなのです。
しゃべり疲れて帰宅。昨日も今日も楽しかったなぁ。これまでいやなことや、自分がみじめに思えることが何度もあったり、わたしって孤独だなぁって思って落ち込んだりしたことも数え切れないけど、やっぱり誰かと一生懸命話したり、笑ったりしてると本当に楽しいなぁ。素晴らしい音楽に包まれてみんな無言でいるのもいいなぁ。エジプト人に見張られながら食べるカレーも不思議とおいしいなぁ。長い道のりもあっという間に歩けるし、ただのコーヒーも妙においしいなぁ。何才でも男でも女でもいいよ。忙しい暮らしの中のほんのひととき、わたしと一緒に過ごしてくれる方々がいること、本当に感謝の気持ちでいっぱい。
Masala Chai
2004年11月30日 趣味
この間の日曜日、友人が「マイブームなの、コレ」と言って持ってきた。甘いんじゃないの? 太るんじゃないの? ホントにおいしいの? と少々疑いながらお湯を注いで飲んでみたら。…おいしい!
近所のインドカレー屋のチャイが一番おいしいと思っていたけれど、なかなかコレも捨てたもんじゃありません。なにせ簡単。
ちなみに友人は1400円も払ってないみたい。およそ半額だって。
近所のインドカレー屋のチャイが一番おいしいと思っていたけれど、なかなかコレも捨てたもんじゃありません。なにせ簡単。
ちなみに友人は1400円も払ってないみたい。およそ半額だって。