ディル
2005年7月1日
なんの花だろうとずっと通るたびに思っていた。
わたしほどの背丈の茎に、細かい葉、
黄色く小さな花の集合体。
今日、小冊子を読んでいたらハーブの紹介欄に写真が
出ていて、初めて正体がわかった。ディルだったのだ。
7年ほど前、サンドイッチパーティで供されていたピクルスが
絶品だった。作った方にレシピを尋ねるとディルが決め手なのだと
教えてくれた。ディルは、スーパーなどでは取り扱いの少ないハーブ。
頭の中のおいしかったものデータベースにその名はしっかりと
刻みつけられたものの、探し歩くほどの根性はなかった。
こんな身近に、こんなにたくさん生えていたなんて。
今度わたしも草盗人になろう。
わたしほどの背丈の茎に、細かい葉、
黄色く小さな花の集合体。
今日、小冊子を読んでいたらハーブの紹介欄に写真が
出ていて、初めて正体がわかった。ディルだったのだ。
7年ほど前、サンドイッチパーティで供されていたピクルスが
絶品だった。作った方にレシピを尋ねるとディルが決め手なのだと
教えてくれた。ディルは、スーパーなどでは取り扱いの少ないハーブ。
頭の中のおいしかったものデータベースにその名はしっかりと
刻みつけられたものの、探し歩くほどの根性はなかった。
こんな身近に、こんなにたくさん生えていたなんて。
今度わたしも草盗人になろう。
草盗人
2005年7月1日
家を出て30〜40分歩くと、タイル敷きの歩行者専用トンネルにたどり着く。
そのタイルが3〜4枚はがれたところに三つ葉が自生していた。
線路をくぐるトンネルは、どこか薄汚く、そして様々な排泄物を
思い起こさせる匂いがしている。
そんな場所で、どっこい頑張り生きている三つ葉を見るにつけ
複雑な気持ちになったものだった。よくもまあこんなところに。
誰かがわざと植えたのだろうか。大して土があるとは思えないのに。
なんと青々として元気そうなんだろ。たくましく。そしてけなげな。
けれどもどんなにけなげであろうとも青々していようとも、その三つ葉は
わたしにとっては食用ではなく、植物のたくましさを味わう観葉植物
だったのだ。
ところが1週間ほど前に突然三つ葉は消えてしまった。一枚の葉も残さずに
ごっそりと持ち去られてしまい、あとに残ったのは茶色い木犀の落ち葉だけ。
そうよねえ。どうみても三つ葉だったから仕方ないか。
でもどこかの家のすまし汁の実になってしまったかと思うと、
ちょっぴりさみしかった。
習慣というのはなかなか消えないもので、通るたびに三つ葉の
生えていた場所をつい目で確認してしまう。三つ葉の不在に
今日まで軽いガッカリを感じていたんだけれど、今朝は違った。
新しい葉が生えてきていたのだ。
草盗人はどうやら基本的ルールは守ったようだ。
「根は残す」。
そのタイルが3〜4枚はがれたところに三つ葉が自生していた。
線路をくぐるトンネルは、どこか薄汚く、そして様々な排泄物を
思い起こさせる匂いがしている。
そんな場所で、どっこい頑張り生きている三つ葉を見るにつけ
複雑な気持ちになったものだった。よくもまあこんなところに。
誰かがわざと植えたのだろうか。大して土があるとは思えないのに。
なんと青々として元気そうなんだろ。たくましく。そしてけなげな。
けれどもどんなにけなげであろうとも青々していようとも、その三つ葉は
わたしにとっては食用ではなく、植物のたくましさを味わう観葉植物
だったのだ。
ところが1週間ほど前に突然三つ葉は消えてしまった。一枚の葉も残さずに
ごっそりと持ち去られてしまい、あとに残ったのは茶色い木犀の落ち葉だけ。
そうよねえ。どうみても三つ葉だったから仕方ないか。
でもどこかの家のすまし汁の実になってしまったかと思うと、
ちょっぴりさみしかった。
習慣というのはなかなか消えないもので、通るたびに三つ葉の
生えていた場所をつい目で確認してしまう。三つ葉の不在に
今日まで軽いガッカリを感じていたんだけれど、今朝は違った。
新しい葉が生えてきていたのだ。
草盗人はどうやら基本的ルールは守ったようだ。
「根は残す」。
おおきな木
2005年6月27日
わたしのおおきな木はプラタナスという種類の木です。
確か加藤諦三の「運命の受け入れ方」という本に自分だけの気に入りの木を作り、親の代わりになってもらえ、というようなことが書いてあったように思う。
自分が求めている形で親に愛されなかった人は、木に父さん母さんになってもらうといいらしい。
でも、その「木」というのは、見つめているだけで涙があふれてくるような、自分にとって特別な存在の木でないとだめなんですって。
そうして思い定めた木に時々会いに行き、触れ、語りかける。どうあがいても自分の思うように愛してくれない親よりも、もの言わぬ木の方が、全てを受け入れてもらえるという実感を持たせてくれるのかもしれない。
そんなことしてる誰かの絵を思い浮かべるとなんだかさみしいな。
でも案外いいかもね。
わたしのプラタナスは、まだわたしを泣かしたりはしない。
確か加藤諦三の「運命の受け入れ方」という本に自分だけの気に入りの木を作り、親の代わりになってもらえ、というようなことが書いてあったように思う。
自分が求めている形で親に愛されなかった人は、木に父さん母さんになってもらうといいらしい。
でも、その「木」というのは、見つめているだけで涙があふれてくるような、自分にとって特別な存在の木でないとだめなんですって。
そうして思い定めた木に時々会いに行き、触れ、語りかける。どうあがいても自分の思うように愛してくれない親よりも、もの言わぬ木の方が、全てを受け入れてもらえるという実感を持たせてくれるのかもしれない。
そんなことしてる誰かの絵を思い浮かべるとなんだかさみしいな。
でも案外いいかもね。
わたしのプラタナスは、まだわたしを泣かしたりはしない。
深呼吸の必要
2005年6月27日
*****70pより引用*****
「おおきな木」 長田 弘
おおきな木をみると、立ちどまりたくな
る。芽ぶきのころのおおきな木の下が、きみ
は好きだ。目をあげると、日の光りが淡い葉
の一枚一枚にとびちってひろがって、やがて
雫のようにしたたってくるようにおもえる。
夏には、おおきな木はおおきな影をつくる。
影のなかにはいってみあげると、周囲がふい
に、カーンと静まりかえるような気配にとら
えられる。
おおきな木の冬もいい。頬は冷たいが、空
気は澄んでいる。黙って、みあげる。黒く細
い枝々が、懸命になって、空を掴もうとして
いる。けれども、灰色の空は、ゆっくりと旋
るようにうごいている。冷たい風がくるくる
と、こころのへりをまわって、駆けだしてゆ
く。おおきな木の下に、何があるだろう。何
もないのだ。何もないけれど、木のおおきさ
とおなじだけの沈黙がある。
「おおきな木」 長田 弘
おおきな木をみると、立ちどまりたくな
る。芽ぶきのころのおおきな木の下が、きみ
は好きだ。目をあげると、日の光りが淡い葉
の一枚一枚にとびちってひろがって、やがて
雫のようにしたたってくるようにおもえる。
夏には、おおきな木はおおきな影をつくる。
影のなかにはいってみあげると、周囲がふい
に、カーンと静まりかえるような気配にとら
えられる。
おおきな木の冬もいい。頬は冷たいが、空
気は澄んでいる。黙って、みあげる。黒く細
い枝々が、懸命になって、空を掴もうとして
いる。けれども、灰色の空は、ゆっくりと旋
るようにうごいている。冷たい風がくるくる
と、こころのへりをまわって、駆けだしてゆ
く。おおきな木の下に、何があるだろう。何
もないのだ。何もないけれど、木のおおきさ
とおなじだけの沈黙がある。