どこ行く山のけむり

2008年4月12日
ママ、大変! 山にけむりが!

あれはけむりじゃありません。霧っていうの。

きりってなぁに?

霧っていうのはね、待ってよね…(yahoo辞書に頼る)

1 地表や海面付近で大気中の水蒸気が凝結し、無数の微小な水滴となって浮遊する現象。古くは四季を通じていったが、平安時代以降、秋のものをさし、春に立つものを霞(かすみ)とよび分けた。気象観測では、視程1キロ未満のものをいい、これ以上のものを靄(もや)とよぶ。《季 秋》「?しばし旧里に似たるけしき有り/几董」

2 液体を細かい水滴にして空中に飛ばしたもの。「?を吹いてアイロンをかける」

…ってことで、おかあさんも間違えた。正しくは「かすみ」だって。

ママ、かすみってどこから生まれるの?

かすみはね…(登校班班長エリカに頼る)

「森じゃないの?」

…ってことできっと森!

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朝に晩に犬を子どもを連れ、ひたすら散歩と送り迎えの日々。

桜と木々の若芽がパッチワークのような山、湖に囲まれて深呼吸するとき、様々な問題もさみしさも、瞬間蒸発するかのような爽やかさ。ほんの瞬間。なにしろまごまごしていますが、とりあえず元気です。今日は父の見舞いに行ってきます。
引っ越し準備も佳境。見舞いに行くことができない。父は一般病棟に移った。妹の職場の経営者が亡くなった。父より一週間早い入院で、糖尿病、脳梗塞、肺炎、最終的には多臓器不全で苦しまれた末逝った。

桜は美しい。けれども切ない美しさだ。引っ越し先への行き帰り、隣に乗った人の幼少時代を聞いていた。そういうのがホッとするひととき。何度も曲がるべき道を通り過ぎてUターンを繰り返す。

頑張っていてもどこか変。
日曜日、父を見舞ってかなり落ち込んだ。眠ってばかりだし、目を開いても、心が通ったようなそうじゃないような…悲しい状態だった。だめなのかなぁ、お父さん。電車の窓にちらっと映った自分の顔が険しくこわくてもうそれ以上見たくなかった。

今日は母と長女が見舞いに行った。なんと父は母の名前を呼び、長女のへんてこな格好を笑ったという。言葉も発し、局所付近をみられることを恥じらったりもしたんだって。

それなら桜を美しいと思う。それなら柳の枝に萌えている黄緑もすばらしい。途端に春の訪れが嬉しくなった。
父が、実家の向かいにあるショッピングセンターで倒れ、救急車で搬送された。心房細動のため、来月カテーテル手術を受ける予定であったが、その前に、心臓にあった血栓が脳に到達してしまったようだ。マッチョで有名で、在職中は「ターザン」とあだ名されるほどの父だったが、寄る年波には勝てなかったか。

ほぼ2時間の距離にある病院へと向かう電車の中で泣きながら、これまでのわたしたち家族を想う。誰の所為でもなく滅茶苦茶だった。お父さんだって勝手だし、わたしたちだって勝手だった。そう。ここにも船頭のいない舟があったんだ。お父さんはずるい。孤独になるような行為の果てにこんな風に倒れたりして、あたしたちをこんな気持ちにさせるなんて。

昨夜は敷きっぱなしになっていた父の布団に泊まった。枕元の日記には「110キロのベンチプレスを20回」という最近の記述があった。お父さん、強いって、健康ってそういうことじゃない。

昼下がり、面会に行き、耳元で「お父さん、今がお父さんを倒すチャンスだ!」と言うと「は・は・は・は」と笑うような素振りを見せた。いいニュースはこれだけ。あとは悲しい現実だらけ。でも命があるならそれでいい。わたしたち元・家族にはまだ宿題がある。今ある生の中で解くべき宿題があるのを感じる。でもなんだろう。

なんだろう。

たくさんの節目

2008年3月19日
たくさんの節目
本日、次女卒業。泣いている子どもたちもいたけれど、我が娘は案外クールで泣いておりませんでした。心では泣いていたのかもしれない。顔つきだけで全部わからない年頃。

夕方から謝恩会に母娘出席。21日は友人たちとむすめたちを連れてコンサートへ。22日は末っ子の卒園。23日は片付け。24日は家の引き渡し。25日は三女の終了式&引っ越し先の家を掃除。27・28・29日ひたすら荷造り。30日は各種工事や家具到着を現地で待つ。31日に引っ越し。4月7日の入学式までには落ち着かねば。世話になった誰それへの挨拶や、これから世話になるだろう方々への挨拶、けじめのようなものをつけねばならないあれこれ。ひと息つけるのは一体いつかな?

ポップコーン

2008年3月15日
ポップコーン
ママの手の匂いを嗅いでごらん、なんの匂いがする?

くんくんくん

ポップコーンの匂いがするよ。

本当に?

うん、ポップコーンの匂いがする。

クマちゃんの肉球をずっと握っていたらこの匂いになったんだよ。

………?

………!

というわけで。

クマちゃんの肉球はポップコーンの匂いがします。
花粉症かしら。頭の中にもやがかかっている。運転中のくしゃみにも困っている「どうやったら目を閉じずにくしゃみできるのか」。無理無理。

引っ越し屋に見積もりに来てもらわねば。ネット環境を整えるための工事を申し込まねば。地上波に対応したテレビを探さねば。カーテンを、段ボールを、いらないものを…嗚呼だめ。

…この切羽詰まった時期に読む本のなんとおもしろいこと。
末っ子は小さい。就学前だから一般的な意味で「ちっさい」子だし、背の順的にも常に先頭をキープする「ちんまい」子でもある。そんなトンがおなかの風邪をもらうとあっという間にぐったりしてしまう。1回の診察投薬でよくなりきらず、2回目の受診では「ハイ点滴して帰ろうね」とのこと。

トン初めての点滴である。準備中、手の甲に目を落とし、じっと観察するトン。お医者さんは「ちくっとするからね〜ゴメンネ〜痛いよ〜」と言いながら注意深く針を刺そうとしている。いつまでも凝視をやめないトンの目を看護師さんが覆う。ひと言も発さず耐えるトンを見ながら、長女あーたんがその昔点滴されたときのことを思い出していた。あーたんの通った小児科の看護師は、針を刺すのが下手で、しょっちゅう内出血させたり、針の刺し直しを何度もおこなったりしてあたしを激怒させたものだった。

自分が子ども過ぎて、あーたんのことを客観的に考えるのがホントに難しかった時代のことだ。いじめられればお礼参りに行こうかと思ってしまうし、変質者に声を掛けられたなんて聞くと一日中そばにいようかと思ってしまったし、点滴の針をうまくさせない看護師を呪ってやろうか病院を訴えようかとさえ思ったものだ。一心同体みたいな感覚で「あたしだけは」生きていたのね。あーたんはそんなこと産毛一本ほども思ってなかったと思うけど。

子どもを4人授かってその感覚「一心同体」を数回試みるうちに、それが大層しんどい行為であることを知る。そして子どもの感覚に自分を当てはめすぎることも、自分の感覚に子どもを当てはめすぎることも、互いの視野を狭めてしまい苦しくなっちゃうこともわかった。「相手の立場に立ってものを考える」のは、うまく世渡りするのに大事な能力のひとつだけど、やりすぎると「自分の大事」をなくしてしまう。あーでもないこーでもないと考え始めると善も悪もなにもかも位置を変えホントこんがらがる。じゃあ何事も中庸がいいのか、バランスをとるのがうまけりゃいいのかって考えると、どうなんでしょね。黄色い液体のしたたりを見つめながらのんびり過ごした朝のひととき。考えるにつれどんどん眠くなり、トンと一緒のベッドに入り込んでしまいたかった。

春探し

2008年3月8日
春探し
まいまいとクマちゃんとワニくんと一緒に2時間ほど散歩。そのうち小1時間くらいは雑木林の中で遊んだ。日暮れの頃、くたびれて行儀のいい犬を留守番させ、馬頭琴のライブへむすめたちと行く。佳き日かな。

どんぐり発芽

2008年3月8日
どんぐり発芽
           

白梅満開

2008年3月8日
白梅満開
                

ホトケノザ群生

2008年3月8日
ホトケノザ群生
                   
暑いわヌー           
               
すべり台が好きなのは君だけなのに
                 
小学生男子を追いかけ回すわたしは、ひとりの少年との距離を縮め、対峙し、素手でやり合っている。間合いを計り、なんとか相手の腕や胸衿を掴みたいが、しかし、なかなか素早い小僧でするりするりと逃げる。ようやく手首を掴むことに成功し、その腕をひねりあげ、背中に回したまま、どこかへ連れて行こうとしている。気がつくと片手には水を入れ替え中/水槽45センチ/赤くヒラヒラした金魚と砂利入りの縁を持っており、今にもその水槽が落ちてしまいそうでつらい。ようやく職員室に着いた(ここに向かっていたのか)。気分爽快で達成感に満ちている。そして目が覚めた。

珍しく夢を見たので(憶えていたので)覚え書き。すごく強かった、あたし。幼少の頃からかなり大きくなるまで弟とよくとっくみあいのケンカをやっていた経験が、素敵なファイト(いじめ?)の夢を見させるんだろうなぁ。子どもの頃の経験って一生に影響を及ぼしますね、確かに。よく母さんのところまで弟を引き立てて行ったものでした。

これからの景色

2008年3月2日
昨秋から書類上では同居人となった彼とわたしだが、実生活にはさほどの変化もなく暮らしてきた。あと一年くらいはこのままでいいと考えていたんだけれど、新しい土地での暮らしを考えるきっかけがあって進路を変える決心をした。

越していこうと手続きをしている小さな家は、歩いて6分のところに大きな公園があり、犬の自由な遊び場も徒歩圏内にある。かねてからひまを見つけては子どもや犬と遊びに出かけていたエリアだ。今、その家から見渡す山の木々は、葉を落としているものが多い。あと1ヶ月もすれば萌えだして、違う景色を見せてくれることだろう。そして秋になれば赤や黄色に山を染め、また葉を落としてゆく。母子家庭ゆえ贅沢はできないが、葉の変化を見逃すような余裕ない暮らしは子どもたちにさせまいと思う。これまで同様、小さな工夫やにやにや笑い、驚きの絶叫を作り出していきたい。

1月に心を決めてからこれまでいろいろ思い悩んできた。やっぱり無謀なことだろうかと引け腰になったり、いやいやそうじゃない進むべきなんだと思ったり、そういう自分だけの空回り思考の外に、様々な現実問題が複雑に入り組んでいて、胃の痛い毎日だった。パラドクスパラドクス…深いため息の胸奥から聞こえてくる小さな声。いくつもの不条理の上に成り立つ条理。不思議が多い。ただ何をもって誰をして「幸せ」なのかわかんないなぁとつくづく思う。

そういうことってありませんか、少しずつ生きてきた時間がのびていくと。

儘よ

2008年2月21日コメント (2)
現在、えーい、ままよ、という心持ち。2週間ほど前にある決断をして、その結果が出るのを待っているところ。早ければ来週早々に、遅くとも来週末には答えが出る。朗報だと作業が楽で、そうじゃなければもう一悶着。なんのことかわかりませんわね。はっきりしたら思いっきり書きますことよ。奥歯に物がはさまったような書き方するいやらしいこの日記も、少々変わるかもしれませぬ。

affogatoさん…

2008年2月20日
これを読んだら久しぶりに話しかけたくなりました。最近「かいて」ますか。

朝の独り言

2008年2月19日
朝の独り言
早起きをしてリビングで欠伸する。変な顔を作るという行為が、ストレスの解消になるらしいと何かの記事で読んで以来、時々変な顔をする。朝の大あくびは、極限まで口を開いて放った今日一日へのサーブだった。

口角がピッと切れた。痛い。

読めないまま返却期限を過ぎた本を図書館に返す。もう当分借りない。活字が頭脳や心に届かぬまますべっていく空しさ。毎日毎日読書に取り組んでいた日々が、夢のようだ。そう感じた夜、子どものおもちゃ箱に紛れ込んでいた灰谷健次郎の本を見つけて再読。父さん。お父さん。灰谷健次郎はやはりわたしの心のお父さんだ。幼い頃は「腐るな腐るな」と教え、若い頃は「尖るな尖るな」と、そして今は「泣くな泣くな」と説いている。もう少し年を重ねれば「死ぬな死ぬな」と言いそう。父さんは突然に死んだくせに。

今日はクマちゃんの誕生日。

今からケーキ焼く。
チョコレートは当分いらないし嗅ぎたくもない。毎年そう思うバレンタインディ。今年はガトーショコラとトリュフをむすめたちは手作りしておりました。ただひとつ例年と大きく違ったことがあった。それは長女が陣頭指揮をとり、わたしは調理に参加せずに済んだこと。助かった〜!

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