今年の夏は(も)海に行かずに終わってしまいそうだったため、”夏に今さら追いすがるフェア”の第二弾として夜の海に座ってみる。寄せては返し寄せては返す波の音、暗闇に浮かぶ白い波。その働きぶりはあたしの好きなワイパーのよう。フロントガラスの行ったり来たりや、洗濯機がぐるぐると水を掻き回すのを見ているのも好きだけど、やっぱり波は格別にいい。揺らぎが自分の予測の外にあることがいい。

あたしの左隣に座った人物に会うのは、実は初めてだったんだけど、この一年間その思考や嗜好に触れて過ごしてきたせいか、なにかどこか懐かしく初対面の気がしない。多分そんなに本当は丈夫でないくせに、とれとれでぴちぴちの運転であちらこちらの土地を行き来し、多分そんなに掃除が好きではないくせに、酷暑の中掃除機と親友で、多分人には「男らしい」と形容されることも多いだろうに、芯は小さい女の子で、ムーミンのミーみたいに素っ気なく髪をひっつめているくせに、えらくべっぴんで。

あたしはすぐに「ホヤ汁を食う日」と頭の中に9月の予定を書き入れた。もっと話をして、食べたりして、飲んだりして、子どもたちが勝手に遊ぶのを眺めたりしながら、優しい沈黙を真ん中に入れて円陣を組むのもいいね。あぁそうだ。真ん中に入れるのは優しい沈黙だけじゃなくて焚き火もついでに囲もうかな。

また秋に会おう。今度はも少し人数を増やして。
頭が疲れると短編を読みたくなる。くだらなくないやつ、きゅっと心の奥に光を当ててくるやつ、読んだあと静かな気持ちで元の生活に戻らせてくれるやつ。

読まなくてはいけない本の背表紙を2〜3冊見ないふりして、久しぶりに村上春樹の短編を読む。家事しながらずっと焚き火のことを考えています。夏の夕暮れ、秋の訪れ、乾いた空気、しんと静まりかえる河辺、湯気のたつ飲み物、優しい沈黙、ゆらめく炎、いくつかの瞳、澄んだ熾火のあの音。

そして思うの。

今は、外を想ってばかりじゃだめなんだよ、って。

焚き火は、お預けだ。あれは区切られていない長い夜にやってこそなんだから。

愛しい夏の背中

2007年8月22日
大きな欅の木の下に寝ころび、葉の裏にしがみついたままの蝉の抜け殻を数える。きつい陽射しを避ければ、芝生を抜けてくる風は本当に爽やか。目を閉じて、ミーンミンミンミンミーン、カナカナカナカナカナカナ、ツクツクホーシツクツクホーシを聞き分ける。蝉が生きている季節にしかできない楽しいこと。あたしは夏が背中を見せて初めて愛撫を始める甲斐性なし。

見知らぬ人が近づいて来て、その公園で催される演し物のチケットをくれると言う。行けそうにないけど、一応もらって、お礼に楽器を体験してもらい、曲をプレゼントする。しばらくその不思議な雰囲気の人はあたしたちのピクニックマットから動かない。あらまぁどうしましょうと思い始めて大分経ってから、溶けたゼリーが滑り落ちるようにぬるりとどこかへ消えていった。公園と図書館には様々な人がいるなぁと今日も痛感する。

友人の実家で育った葡萄ピオーネとチケットは取引が成立して、今、ごちそうさまをしたところ。わらしべ長者わらしべ長者。
先週、映画館で「ジャスミンの花開く」を観た。チャン・ツィイー主演の作品。美しかった。ストーリーは今のあたしには少し重すぎて、最後のほうで泣いてしまった。誰かの娘で、そして娘ばかり産んだあたしには身につまされる内容で。

8月も20日を過ぎると、なんだか少し気持ちがせかせかする。あたしには宿題なんかないのに。いや待てあるな。人に出されたものじゃない、自分で自分に課したものは。日々のことに追われてあんまり進んでいない。

宿題にようやく取りかかったむすめたちと一緒にしばらく頑張ります。

夏の陽射しに秋の風

2007年8月20日
あたしの夏休みは終わった。でもお母さんとしての夏休みはもう少し続く。
流れ星になりかけた夜
この夏、キャンプに行けずにいる。こんな暑いときに、引っ越し仕事のようなキャンプの荷造りできるかっての。泊まりはしないが、ちょくちょく水辺に行っていちにち過ごし、こうもりが輪を描いて飛ぶ姿を眺めながら帰る。

昨日は少し気合いを入れて早朝から弁当を作り、車で2時間半の距離にある清流へ。使われなくなったキャンプ場の片隅に居場所を作り、夕刻まで沢登りや魚捕り。日暮れ始めてから小高い丘の上の農園でオーナーご家族と楽器を楽しみ、夜は人気ない道路に5人プラス2匹でずらっと寝そべり流れ星を数えてきた。30分ほどの間に10個目を確認直後、

「ママ!車が来たよ!」

ロマンチックを吹き飛ばしワタワタと逃げまどう。あわや流れ星を数えながらみんな流れ星になっちゃうところだった。大笑いしながら帰宅。あたしんちらしいオチがついていちにちが終わった。
今夜は餃子。カーナビも携帯もマニュアルを読まないのが信条なんだけど、初めて皮から作るので「一度だけよ」と本の言うなりに作りました。いつもの餃子との違いはまず皮のもちもち感。こんなぷりぷりしたボリュームのある皮に包まれていちゃ何個も何個も食べられません。具はひき肉じゃなくて豚ばら肉を粗く叩いたものなので、食感もこれまた違う。それから調味。いつものより断然濃い。醤油がいっぱい入ってるの。たれにつけるのはサッパリさせるためっていう感じ。思ったよりも簡単で、これから何度も何度も具をかえながら作りたい。

昨日のチンヂャオロースもおいしかった。レトルトの素なんか使わない方がおいしいなってつくづく思った。後味がくさくなく爽やかなのがいい。何を食べてもおいしい。太る。でも人は痩せているからといって愛されるわけじゃないからまぁいいよ。みんなたっぷり食べて元気でいたらよろしいんです。

バテないために

2007年8月7日 読書
この間、ウー・ウェンさんのレシピ本の中から小さな肉まんと、餃子の具が入ったおやきのようなもの”シァアビン”を作った。最初の粉を混ぜるところから始めて、捏ねて丸めて一回目の発酵、最後の成形、二次発酵までひとりひとりが200gずつ受け持って一通りやってみた。5才のトンもやればできるもんです。捏ねるのもがんばっていたし、おもしろい形の包子を工夫して作っていた。焼きたて蒸したては本当においしかったけど、暑いのなんのって!

今日は花巻を作った。中身がなんにもない万頭です。パン生地のようなものをくるくると丸めて切り分け、花のように形づくる。味はいいんだけど、くるくる丸めるときに遠慮がちに丸めたので、花巻特有の生地の折り重なり方が物足りず、また二次発酵がちょっと足りなかったようでふわふわ感が足りない。これから改善バージョンをもう少し作る。今夜は花巻と青椒肉絲と中華冷や奴。

中華料理は作るとき暑いから気合いが必要だけど、バテないためにはやっぱりいつも冷たいものばかり食べてちゃだめなんだもんね。時にはがんばります。
暑い夏。一生懸命に麺料理レシピを頭の中で構築したり再構築している誰かさんたち。うどんでカルボナーラを作ったことがあるでしょか。うどんをお湯にくぐらせるときだけ火を使うこの料理。野菜は同じく火を使わないサラダを添えて摂取してみてください。そう。この料理のポイントは「いかに火を使わずに料理を作るか」です。

---材料---
○茹でうどん 2袋
○卵黄 3個
○生クリーム200ml
○粗挽き塩胡椒
○生ハム適宜

○卵の黄身と白身を分ける。

○大きめのボウルで、生クリーム(どんなタイプでもいいですよ。あたしは低脂肪を使うけどおいしいのはやっぱり高いヤツよね)200mlに対して卵黄3個を入れ、箸で混ぜておく。

○生ハムを好みの大きさに切って生クリームソースに入れて混ぜて、少々強めに粗挽き胡椒と塩で調味。

○きしめんでも稲庭風でもなんでもいい、すでに茹でて袋に入っているうどんを沸騰したお湯にくぐらす。

○うどんがあつあつになったらザルに開け、生クリームソースに投下。

○混ぜて盛りつけて温かいうちに食べるべし。冷えるとおいしくなくなるのはパスタで作るカルボと同じ運命。
3日間仕事が休みです。

昨日はひとりで2時間ほどぶらぶらして、中国茶器のセットを2セット購入。ひとつはポットの蓋に蛙がとまっている素焼きのかわいらしいデザイン。もうひとつのポットは赤いバッチャン焼きで、持ち手が華奢な細工のシルバーでできている。満足満足自己満足。夜ははなまるうどんで夕食後、むすめたちと恒例のハリーポッターの映画を観に行きました。大変わかりやすく短めにできており、末っ子もぐずったり眠ったりせずに無事鑑賞。

今日はウー・ウェンさんのレシピ本を使って、数品点心を作ります。全部できあがったら昨日買った茶器で工夫茶に挑戦。そのあと2日間ほどぐずぐず引き延ばしにしていた英語メールの返事を書きます。それから明日の買い出しに行ったり、下ごしらえをする。

明日はみんなで川原へ行きます。BBQをして、酔っぱらって、酔いが覚めるまで楽器の練習をします。そしてきっとぐったりする。
化粧品がぎっしりと入ったポーチをなくすってなんていやなことなんだろう。まつりの日からどこかに行っちゃったんだよね。多分あの夜にバッグの中からどこかへ行っちゃったんだ。

ところで近頃仕事をしています。

今からまた車に乗って出かけるんですが、今日で6日目の出勤です。なかなか慣れません。そしてまたあの優しく温い時間の流れ方に慣れてしまうとよそへ行けなくなってしまうのかもとも思っている。

とりあえず頑張っています。行ってきます。
目覚めるとすでに太陽が「今日は久しぶりにギラギラおまえらを灼いてやる」と言いながら上ってきていました。今が何月なのか最近わからなくなっていたあたしは、それでようやく真夏がやってきていたことに気がついた。もうじき8月なんだ。自転車通勤なんて考えない方がいい。また太陽の気持ちが優しくなってからにしよう。毎日の生活の中でも、朝日の出る前のひとときや、日暮れてからの宵闇、太陽から隠れて暮らす。正々堂々と勝負するときはきっと川原。全身で川を味わうときには逆に体を温めてもらおう。太陽さん、あたしはずるいですか。でも気にしないでしょう?あなたはあたしを見つけられるようなちっさい目玉を持っていないからね。
今 今 まさに隣で末っ子のトントンが号泣しています。理由はマイマイが光る指輪を壊したからです。しかしマイマイにはなにか破壊の理由があったのでしょう。母さんがいちいち姉妹誰かの味方をしているとキリがありません。「みんな良くてみんな悪い。じゃあ気が済むまで戦え」「泣きたいみたいだから泣きやむまで泣かしとこう」これがあたしの方針です。泣いてる人は途中でとめたらいけません、オトナでもコドモでも。
終業式の日、マイマイが孫悟空から素敵なラブレターをもらってきたよ!

家鴨の肝

2007年7月19日
家鴨=あひるの肝。貧血にいいから食べなさいとくれる人がいた。家鴨の肝が、とっても脂肪肝になったらフォアグラだものね、あんな味がするのかしら…とワクワクして食べてみたら、にわとりのレバーに似ています。もしかして家鴨を騙るにわとりかもしれない。どっちにしても朝に昼に夜に食べないと。あたし元気でいなくっちゃ。週末は夏祭りなんだから。

にわとりのレバーも買ってきて、今、五香粉とごま油、酒、塩胡椒に漬け込んである。それをどうやって料理しようか。茹でる?焼く?炒める? とにかく血を濃くしないと。あたし頑張らなくちゃ。やることがたくさんある。頑張らなくちゃ。
嗚呼…と思ったり、くーっ!と思ったり、みんなが自分を砂漠に置き去りにするようなそんな気がしたら、とりあえずトイレとかシンクとか箪笥とか掃除するといいですね。スケール大きな人は好きなだけお金使って自分のもの買ったらいいですね。あたしは松居棒とか使って真顔で掃除します。掃除が終わって数時間して、また用があってその場所に戻るでしょ。そうするとまぁ少しは上向きます。もしくは少しぐれるといいですね。今は話したくない気分と公言して、眠るでも起きているでもなく、砂のトイレでじっとしているチンチラのように頑なに固まることです。気が済むまで固まればまたきちんとお話しできますとも。どうしようもなく心が揺れるときは、一切をシャットアウトするといいですね。ロボットのようにルーティンをこなします。あたしはロボットあたしはロボットよと、自分に言い聞かせているうちに、いつのまにかどうでもいい考えが生身の人間のように射し込んできます。その最初の”みたらし団子食べたい!”とかいうくだらない欲求に時には従ってやることです。平静を取り戻し、また優先順位を組み立てて生きていけます、きっと。さぁ。五香粉を買いに行ってこよう。
大きなデパートの中で1時間ほど過ごす。何も欲しい品物がない。作陶展を見て、なんとかいう画家のギャラリーを見て、漆塗りの工芸品を見て、もうそれだけで飽きた。屋上庭園で「頭のうちどころが悪かった熊の話」という本を読みながら、激しい風に吹かれていた。時折、今夜はいつもとは違う夜になればいいのになと、ものすごいスピードで流れる雲につい願った。

騒がしい街は騒がしいまま、静かな通りは静かなまま、汚い路地は汚いまま、つまりいつもとなんら変わりなく、夜も雲も人も結局通り過ぎていった。あたしもそこを通り過ぎて犬を迎えに行った。クマちゃんとワニちゃんが飛びかかってきて、腕とおなかの周りが傷だらけ。

明日はお仕事の面接です。それが新しい章の始まりでしょうか。それとも働き始めてから? とにかく心落ち着けて次の章に入りましょう。

ぱでぃさんの

2007年7月13日
心の中をのぞき見できなくなるのはさみしいこと。
学校仕事の帰り、自転車にまたがり門を出ようとしたとき、孫悟空みたいな少年がぽつねんと池でたもを振り回しているのを発見。

彼は我が娘マイマイを不登校にさせかけた男の子。

でもその幼い乱暴な言動からあたしたち親子は学ぶことも多かった。暴れん坊を理解しようと少しはしてみたし、うまくその直球的好奇心を逸らすやり方も勉強させてもらったのだ。それら勉強の中には、将来、マイマイが男の人をたぶらかすときに使えるテクニックも含まれていると思われ。

最近 孫悟空はマイマイに優しい。

ねぇあたしはマイマイのお母さん。こんにちは。どうしてひとりでここにいるの? そうか先生とケンカしてここに来たのか。何を捕まえているの? トンボ? ここには糸トンボがいるよね。へぇオニヤンマもいるの。

最近マイマイに優しくしてくれてありがとう。(あぁ、オレね、4年の時と性格変えたからね)そうか。おばさんは君のこと応援してるよ。いろいろうまくいかないことあってもがんばってね。いつも応援してるよ。また話そうね、バイバイ。

どうして彼は「性格を変え」なければならないのか。

あとになってそのことがつらく感じられた。あの子はあの子のままで生きられたらいいのに。あの子が暴れてもあの子に蹴られても、愛してくれる人がいたらいいのに。

眠らない町で

2007年7月10日
ついにひとつの人生の曲がり角に来たみたい。とはいうものの、実際のわたしは少し現実味に乏しくて、でも何年か先になって振り返れば「あぁ分岐点だったんだ」と確実に思うんだろう。

眠らない町の窓辺から通りを見下ろせば、さまざまな年齢のさまざまな人種のものたちが、楽しそうにくやしそうに速くまたはぼーっと過ぎていくのが見える。天井にはその部屋の名前とブラインドの横縞が、影として映り込んでいる。

なるようになるってよく言うけど、本当になるようにしかならないな。

そのことがうれしい けど 苦しくもある。

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