のどか

2008年2月11日
のどか
                    

雪道をわざと行く

2008年2月11日
雪道をわざと行く
             

久しぶりに

2008年2月11日
久しぶりに
犬&子ども&自分というメンバーで太陽をいっぱい浴びて歩く。忙しさと体調不良でできずにいたこと。今日は久しぶりにできた。お日様の光、子どもたちと犬の笑顔パワーで、すごく元気をチャージできた気がする。

写真は散髪前のもじゃもじゃワニくん。10キログラム。

福寿草

2008年2月11日
福寿草
           

クマちゃん

2008年2月11日
クマちゃん
お久しぶりです。クマちゃん22キログラムです。

そうか冬だった

2008年1月22日
冬はきらいじゃないけど、ドアを開けて歩き始めるまでの時間、励まし役の自分と、外に出るなよと足にしがみつく引きずり悪魔役の自分が小競り合いをする。悪魔が勝つことも多く、自然と太陽を浴びる時間が短くなる。そうして気分が沈み込んでいくのがこの時期の常。おっと今年もか!と気づくのは本来の自分に還り始めている頃で、一番つらいときには、眉根にしわを寄せて下を向いているので、周りの景色なんて見えやしない。むろん太陽の光も。

先月からずっと「だめ」で、つい先日「だめ」の原因のひとつである右下奥の親知らずを抜いたのだけど、抜歯後の経過が悪く、1週間ほどのたうち回る。延べ1ヶ月半の間、毎日4〜5回、消炎鎮痛剤の世話になる。普段薬を飲まないようにしているんだけど(自分の免疫力・快復力を信じていたから)痛みに支配された自分は、何かしたくとも立ち上がれない自分は、まるでそれがラムネであるかのように、薬をポイポイ口へと放り込む。最後にはあまり効かなくなっていたが、それでも幾分か痛みを遮断してくれていた。本当は「あんな」痛みがあたしを覆っているのに、それをなかったことにする。いいことなのか悪いことなのかわかんないなぁと思うけど、やせ我慢大会はきらいだ。特に自分内自分対抗我慢大会はしんどいから。

さまざまことが起こっている(起こそうとしている)。

毎日の洗濯はもちろん、人生の大きな選択をしなくてはならない。おひさまを浴びて健全な心で方位磁石をのぞき込もう。

北へ逃げたがる?

2008年1月15日
             

「だめ」になる

2008年1月11日
「だめ」になる
しばらく「だめ」になっていた。2007年最後1ヶ月は、大変精神的にも肉体的にもハードな毎日。どちらも同じくらいダメージをくらっていて、ついに「だめ」に。2週間ほどゆるい日々を送ったので、かなり回復した。機械の体がほしいと時々思ったりする近頃。メーテル。

ここ最近、70才くらいの年齢の方々と共同作業をする場面が多く、ジェネレーションギャップに戸惑うことが多い。ただ単にわたしが常識知らずの恥知らずなだけだろうか。あらゆる場面で相棒を作り「あたしはだいじょぶか」と常に確かめ合わねばならない宿命なのだろうか。もうじき40才に手が届きそうなのに、どうしてわたしはまだ大人になっていないのだろう。悲しい。

今日は横浜で打ち合わせがあった。ここでも70才くらいの女性と丁々発止のやりとりをした。最終的には自分に非はないけど、謝った。そして助けを乞うた。

紅く明るい中華街。栗を煎る甘い香り、非日常的な時間の使い方を心がける人の群れ、笑顔で他者を値踏みする瞳。赤い提灯、倒れた福の字。ひりひりする心を潤す数煎の茶。この最後の文章にしかよいことを見つけられていないということの意味は、やはりまだ本調子じゃないってことかもしれない。

寝る。

よいお年を…

2007年12月31日
わざわざ読んでくださった方、うっかり読んでしまった方、どちら様もわけわからん文章を読んでくださいましてありがとうございました。

最近テンションの落ちる現象や出来事が多く、おまけに体調も悪い。日記の更新をする気力もあまり湧かない。ことに今日は泣きたい気持ち。この年の瀬にこんな気分で…嗚呼。

来年は新しい風がびゅうと吹きますように。

みなさまにも。

今年あったよいこと悪いこととりあえず置いておいて、来年はまたいちからやり直し(積み重ね)。よいお年をお迎え下さい。

失語風邪と中耳炎

2007年12月10日
先週は痛み止めを1日3〜4回服用する毎日だった。親知らずの痛みに付随する、頭・腰・肩・目の奥…どこがどう痛いのか、もはやよくわからん痛みを薬で殺し続ける。ある時点から、薬の切れ目に顔をのぞかせる痛みが、歯から喉へと変わっていた。体全体を包み込む倦怠感。痛み止めをイブプロフェン配合の風邪薬に変更。喉にウニがいる。

普段は体の不調を感じると、注意深くその症状に耳をすませ味わって、薬を飲まずして治すMに傾いた性質。でもどうしても参加してみたい集まりがあったから「早めに復活早めに復活」の呪文と共に薬を飲み下していた。結局、酒と煙草で灼けてしまったような声をして、初めての人々の群れに飛び込む。

残念ながらあまり勉強にはならなかったが、企画実行した男の人となりに触れ、そのいさぎよさと元気のよさには感服した。やっぱり元気じゃないとね。対するあたしのほうは、夜のとばりが降りるにつれ声をどんどん失っていった。今朝は内緒話しかできない。

風邪プラス中耳炎で、1週間幼稚園を休んでいた末娘トンも今日から登園。トンの居ぬ間に昼寝をしたら、幼稚園の送迎バスの時刻に間に合わず慌てふためく夢を見た。早めに迎えに出て、陽に当たっていよう。

いのちの重さ

2007年12月4日
ピヨルが死んで1週間余。わたしは自分を折にふれては責めた。責めても生き返りはしない。長女とは犬の散歩のときにピヨルの死を話し合った。でも他のむすめたちはこの7日余りの日々、ピヨルについて話さなかった。それはおかしい。みんなで話さなければいけないと思っていた。なにかのきっかけで自然に話し合うときがくるだろうと待っていた。

ある日ついにその時間が訪れた。上手に子どもたちは自分の気持ちを話せず、想いが言葉にならず泣いていた。涙がおさまった頃、ひとつ約束をしてごはんを食べてお風呂に入ってそして眠った。わたしたち家族の心にある形のない約束を、断続的にみんな思い出して生きていくだろうと思う。

魚が死ぬ。ねずみが死ぬ。ゴキブリがコバエが死ぬ。あたしが死ぬ。

いのちには重さがない(はず)。空気のようにふわふわとした魂。みんな同じはずなのになぜあるものの死は人を泣かせ、あるものの死は人を安堵させ、遠くにある死は人の心をそよとも揺るがすことがないのか。

花の仕事

2007年11月26日
毎日忙しい生活の中で、セキセイインコのピヨルが死んだ。6才だった。コンサート本番の朝、体中の血が引力に素直に従い、地へハイスピードで落ちていく感覚。初めての大きな舞台を迎えるむすめたちには、当然伝えられない。元の夫に墓を作ってくれるように頼んで家を出る。

本番前、花束が3つも届く。メンバーに冷やかされながら目を輝かせるむすめたち。無事に舞台を終えて安心して帰る途中、末の妹からピヨルの死を告げられたようだ。美しい花々のうちの何本かは墓に供えられた。

今日、洗濯と掃除以外なにもできない。
娘たちの通う小学校で演奏と体験会を催す。今回メンバーはたったの五人。そのうちの3人はゆにぞん家。どうなることやら心配(うまく進行できるかとか、誰もお客さんが来なかったらどうしようとか)だったが、なんと大人子ども先生含めて50人余りの人が集まり、立ち見がでるほどだった。子どももよく知る簡単な曲を2曲弾いたあと、体験にもつれ込んだのだけど、押し合いへし合いの混乱となってしまい、諦めて帰ってしまった子もいた。

あたしの娘2ndと3rdは、ここのところずっと今日の行事がプレッシャーになっていた。あたしに似て本当はナマケモノの性分なのに、練習がんばっていましたもの。春にこの楽器を始めた二人にとっては今日が初舞台。演奏後は聴衆のあたたかな笑顔の中でずっと誇らしそうにしていた。

言葉以上のものが伝わってしまうのが音楽。地味な練習が長いほど胸に拍手がぐっとくる。音楽の世界に汚い部分がないかと聞かれれば、きっとそんなことあり得ないんだろうけど、今日のところはなかったな。あったのは「わーい!」だけだった。

今週末にはまた仲間のみなさんたちと別の舞台を踏む。仲間自体も20人ほどいるし、数十という団体が集うコンサートなので、様々な年齢・職業・性別の人々と多くふれ合うチャンスがある。扱う楽器もそれぞれ違うので、刺激も受けるだろう。多様な人波をのびのび泳いでほしい。

お母さん今日はとってもうれしいです。今春、窮屈な団体をやめてしまって少しの後悔を引きずって来ていたが、音楽をサンドイッチにしたみんなの笑顔で払拭された気がする。

…? 

気に入りのブーツがウンコくさい? どうやらぼーっとしながら歩いていて、中庭の銀杏の実を踏んでしまったようだ。帰り道、高揚が音を立ててしぼんでいった瞬間。
囲碁とか、史上最強の棋士の数奇な人生とか、アジアの激動とか、そういうことはさておいて、いろいろな場面で匂いを感じる映画だった。畳、夏、土埃、囲炉裏、硝煙、森、泥、海、雨、せんべい布団…昭和の匂い、おばあちゃんちの匂い。呉 清源役チャン・チェンの顔の端正なことと、それから久しぶりにみた野村宏伸の顔にびっくり。年月というのは誰にも同様に流れている。

http://www.go-movie.jp/index.html
おばあちゃんの家から横取りした某有名メーカーの高級毛布。その手触りを昨夏亡くなった白ネズミ「スノウちゃん」とどちらがなめらかだったかトントンに訊く。

尋ねてすぐに「あ!トンはスノウちゃんを抱っこしたことなかったね、噛みつきネズミだったから。手触りなんか知らないよね。ごめんごめん!」と謝る。するとトンは「触ったことあるよ!抱っこしたことある!」と大いばり。

…あれ?そうだっけ?じゃあ手袋してから抱っこしたのかな?でもそれじゃあどんな感触だったかわからないよね?

「手袋しないで裸のお手々で抱っこしたよ!」ますますトンは鼻の穴を膨らませて訴える。

…?…?…?

「あのね、ママ! スノウちゃんが死んだとき(http://diarynote.jp/d/43206/20060825.html)みんなで抱っこしたでしょ! まだ柔らかくてあったかかった!」。

そうだ。あのネズミは、本当によく噛みついてくるネズミだったから、トンは死んで初めて抱いたのだった。カラリと乾いた悲しい話。
明るい悲しみの勉強
オーケストラアジアhttp://www.orchestraasia.net/を鑑賞する。母娘共々、様々な楽器・国・歴史の融合を楽しむ。悲しい曲を好んだ時期が長かったが、今は明るい曲が好きだ。ちんどん屋の奏でるようなカラリと乾いた明るい悲しみこそ胸にしみる。数年前から中国の音楽に常に触れるようになって、だんだんそんな風に変わっていった。悲しみ温泉にどっぷりすすんで浸かっていては、まわりの景色がなかなか変わっていかないことに、ようやく気づいたせいかもしれない。冷静な表面の内側に、悲しみや苦しみ、歓喜や絶望、汚れや輝きが、幾重にも折り重ねられているパイをパリリパリリと味わう。そう、乾いていておいしい。内部のしっとりしている生地もまたおいしい。誰かも何かをパイに喩えていた?

ドアからドアへは1時間半ほどかかるホールに思いきって(次の日も学校があるから)行ったのだが、帰りは22時過ぎ、満員電車。座れぬマイマイ(三女)は毎日働く大人たちの現実に触れ、寝付けぬトントン(末っ子)は膝の上で久しぶりに母を独占し、はしゃぎまくる。

チケットも時間も音楽も出来事も全部ひっくるめて素敵なプレゼント。ありがとうございます。
表には冷たい雨が降っています。背後では、犬が二匹、おっさんくさい声をたてながらじゃれあっています。仕事中は熱かった体もだんだん冷えて、この冬はどの器具を使って暖をとろうかと思案を始めました。

夢のようです。忙しさも、起こることも、食べているものも、掛けられる言葉も夢のよう。ふわふわとしていて、うれしいこともそうじゃないことも、本当の本当には胸の奥に届いていないような気がしています。

昨夕、信号で友人の息子と一緒になったので「お母さんは元気?」と聞くと「韓国ドラマばかりみて寝て暮らしている」と言います。半年前も同じ返事をしたよなぁと思いながら笑っていると、「この間大学のキャンパスを見学に行った」と話を変え、「どうだった?」というあたしの質問に「ひとつの学部に一棟ずつ建物が充てられていて、勉強のしがいがありそう」とのこと。

この子もついこの前まで靴の左右を間違えて履いていたんだけど。

やっぱり夢のよう。

表には冷たい雨が降っています。背後では、犬が二匹、相変わらずおっさんくさい声をたてながらじゃれあっています。今日はこのままずっと同じように時間が経っていくんだろうか。起きているけど眠っているみたいに。

文山包種と魯山雲霧

2007年11月4日
中華街の茶藝館にて今月はまず2種類勉強。レクチャーを受けながら味わう。文山包種は烏龍茶、魯山雲霧は緑茶に分類される。静岡育ちなのもあってやはり緑茶が好きだ。教科書やネットでする勉強では身につかないことがあるなぁと思う。食事がてら新年会の会場探しをする。会って話してみないとできない話があるなぁと思う。

あーたんが泣く

2007年11月2日
朝からあーたん(娘1st)が泣く。恋に仕事に疲れて泣く。自分は価値のない安っぽい女で、安い時給でこき使われて、仕事を辞めようとしていたのに同僚が先に辞めて辞めそびれ、想い人は自分に熱を上げず、自分のほうが一方的に彼を追いかけているだけで空しい、と。

そうではないよ、おまえは輝いている場所だってちゃんとあるから、彼はおまえと特別な関係を結んだのだし、それがいつしか変化したとしてもまさに「その時」は本気だったんだから責めなくてもいいし、仕事は辛くてもきっと何か得るものだってあるよ、とにかく、性器と歯を大事にして生きていればいいことあるよ。

そういうとあーたんは、きれいに塗ったばかりのマスカラを、デスノートの登場人物そっくりに目の下に黒く色づけながら、もうだめだよーと泣くのでした。性器も歯ももうだめだーと。

あーたん、あーたん、大丈夫。

みんなお互い様。いつかいいことあるよ。お風呂にゆっくり入って汚れを洗い流せばほらもう元通り。虫歯も歯医者に行けば治る。部屋をきれいに片付けて、美容室にでも行って、少し自分に投資してごらん。あるとき本当に世界は不安定だと気づく。でも自分はもっと不安定で無常であることも識る。誰も何も責められない世の中で、サーフィンしている自分たちを視る。あーたんもあたしも同じだ。うまくやっているように見える人だって大なり小なり同じことしてる。ひとりじゃないひとりじゃない。

きっと今頃「食欲ないからいらなーい」と言っていた弁当を、もりもり食べているんでしょう? あたしの仕事は、愚痴るあーたんを、時に慰め時に諫め時にけしかけ、泣かせることだ。泣くと人はすっきりするもの。

あーたんはかわいい。頭は悪いけど、まだお母さん相手に愚痴って泣いてるようじゃ素直でかわいい。そこがホントは宝物なんだよ、あーたんの。
あたしのことじゃありません。ワンコたちのことなんですワヌー。

クマちゃんが初潮を迎える気配を感じたので、気の毒にとは思ったが、ワニくんのタマタマを取ってしまうことにした。ワニくんはとろけるくらいかわいい顔をしているが、気性が荒く、子孫を残す気持ちになれない。クマちゃんはかわいらしく性格も頭も本当に本当によく、この子の子どもはほしいとは思うが、なにせ1回に産む頭数が多すぎる。万が一、幸せを全うできないような家庭にもらわれていったらと思うと悲しくてならない。今、想像できないくらい多くの犬猫が殺処分されている日本の現実から目をそむけられない。多分時が来たら避妊手術をすることになると思う。

そんなわけで(主に人間の都合で)バルスは去勢手術を受けた。摘出された睾丸は父の母校に提供した。ほどなくしてクマちゃんが案の定本格的に生理になった。最初のうち、ワニくんはおとなしく「サカリ?それってなんのこと?」となんの影響も受けていない風だったのだが、昨日から急に性衝動に突き動かされてしまっているみたい。身長差があるので頑張っても届かないクマちゃんの秘所をめがけて腰を振ること振ること。ひまさえあればとにかくずーっと。

すでに赤ちゃんの素製造工場はなくなってしまっているのに、リビドーと睾丸とは関係がないものなのか。あたしは張り切るワニくんを「お気の毒に…」と思って眺めている。むすめたち? そう、むすめたちは最近ワニくんがキライのようですよ。

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