じっと手を見る
2007年4月17日なんだか最近言葉を失っています。「何を見ても何かを思い出す」ことにも疲れたし、「物事に意味を見い出さずにはいられない」ことにも疲れた。花は黙って咲いているし、洗濯機も仕事が終わるまではぐるぐる回るだけ。あたしもあれこれご託を並べずに、やることやる時期なんでしょう。
時々夢想するのです。黙って犬の肩を抱き、川辺に座っていられたらな、って。でももう少し先までお預けみたいだ。乗り切らないといけない事や物がカレンダーを汚してる。苦手な「複数でする」ことばかりだ。逃げられないんだなぁ、やっぱり。
いろいろ失敗したり、うまくやれない自分を、我ながらかわいそうに思う。不器用なやつ。じっと手を見たり、花を買い来て子どもと親しんだり、早寝したりして、凹みを紛らわす近頃。
時々夢想するのです。黙って犬の肩を抱き、川辺に座っていられたらな、って。でももう少し先までお預けみたいだ。乗り切らないといけない事や物がカレンダーを汚してる。苦手な「複数でする」ことばかりだ。逃げられないんだなぁ、やっぱり。
いろいろ失敗したり、うまくやれない自分を、我ながらかわいそうに思う。不器用なやつ。じっと手を見たり、花を買い来て子どもと親しんだり、早寝したりして、凹みを紛らわす近頃。
バルスがうちの子になって今日で一週間。
あたしとバルスの間にはいろんなやりとりがあった。あたしがバルスに送った(送ってしまった?)一番強いメッセージがどんなものだったか自分ではよくわからないけど、あちらからやってくるメッセージはしっかりと受け取った。すごくよくわかった。
「あんたがどんな人でも構わない。ただそばにいてね、ひとりにしないでね」だった。
追伸:「ごはんと散歩はできるだけたくさんね!」だって。
あたしとバルスの間にはいろんなやりとりがあった。あたしがバルスに送った(送ってしまった?)一番強いメッセージがどんなものだったか自分ではよくわからないけど、あちらからやってくるメッセージはしっかりと受け取った。すごくよくわかった。
「あんたがどんな人でも構わない。ただそばにいてね、ひとりにしないでね」だった。
追伸:「ごはんと散歩はできるだけたくさんね!」だって。
灰谷健次郎氏が教え子の作品を編んだ本の中の詩。とても好きな一文「犬は悪い目はしない」。
犬は確かに悪い目はしないけど、すまなそうな目はする。今隣で「すんませんすんません、えろうすんません」とやっている。本当に申し訳ないと思っているときや、取り入りたいときする。人間と同じ。
人は犬と違って悪い目をする。あたしの父は「ふとした瞬間に人が見せる下品な表情がきらいだ。おまえはするな」とよく言っていた。十代のあたしは「女優じゃないんだからさぁ…」と話半分に聞いていたけれど。
親になると、確かにそう思う。でもあたしは人を「よい!わるい!」と糾弾できるほど清い人でないので、まぁ仕方ないかとも思っている。誰も心の底では疲れているんだろう。ふとしたときに「どうにでもなれ」とか「全部こわれろ」とか「全員大嫌い」とか思っても仕方ないよ。思うのとなにかするのは別のことだから。
犬は確かに悪い目はしないけど、すまなそうな目はする。今隣で「すんませんすんません、えろうすんません」とやっている。本当に申し訳ないと思っているときや、取り入りたいときする。人間と同じ。
人は犬と違って悪い目をする。あたしの父は「ふとした瞬間に人が見せる下品な表情がきらいだ。おまえはするな」とよく言っていた。十代のあたしは「女優じゃないんだからさぁ…」と話半分に聞いていたけれど。
親になると、確かにそう思う。でもあたしは人を「よい!わるい!」と糾弾できるほど清い人でないので、まぁ仕方ないかとも思っている。誰も心の底では疲れているんだろう。ふとしたときに「どうにでもなれ」とか「全部こわれろ」とか「全員大嫌い」とか思っても仕方ないよ。思うのとなにかするのは別のことだから。
ラピュタ滅びの呪文
2007年4月11日なんだかんだといっていつも慌ただしい春。今年の春、忙しいのは、あたしんちに新しく仲間入りした黒犬にまつわるあれこれが大部分。彼は少々気難し屋だ。もうじき生まれ落ちてから5ヶ月にもなろうという犬のくせに、ひとりぼっちになるときゅんきゅん鳴き、気に入らないことがあると「うー」という。おととい三女が噛まれた。
たいがいの犬は、2ヶ月頃、母の元を離れて新しい飼い主のところへもらわれていく。それから生後半年の間が勝負しどころだとあたしは思っている。犬社会・人間社会に慣れ、人と室内で幸せに暮らすためのやり方をおぼえていく。
あたしんちの家族はみんな犬を擬人化したマンガが大好きだけど、犬は犬、人と同じに考えたら互いが不幸になる。追々むすめたちもわかっていくだろう。そして歩みよりあって、言葉を越えて気持ちをわかりあうようになる。
縁あっていただいた黒犬はすでに歯が抜け替わり始めている。自立期が近づいている。青年になると人も犬も反抗したくなるもの。
飼い主さんはそれなりにかわいい名前をつけていたが、あたしはそろそろ呼び名を変えようと思う。ラピュタの滅びの呪文を名前にするつもり。
たいがいの犬は、2ヶ月頃、母の元を離れて新しい飼い主のところへもらわれていく。それから生後半年の間が勝負しどころだとあたしは思っている。犬社会・人間社会に慣れ、人と室内で幸せに暮らすためのやり方をおぼえていく。
あたしんちの家族はみんな犬を擬人化したマンガが大好きだけど、犬は犬、人と同じに考えたら互いが不幸になる。追々むすめたちもわかっていくだろう。そして歩みよりあって、言葉を越えて気持ちをわかりあうようになる。
縁あっていただいた黒犬はすでに歯が抜け替わり始めている。自立期が近づいている。青年になると人も犬も反抗したくなるもの。
飼い主さんはそれなりにかわいい名前をつけていたが、あたしはそろそろ呼び名を変えようと思う。ラピュタの滅びの呪文を名前にするつもり。
もじゃのリュックには
2007年4月9日
あたしたち親子は、6:00過ぎにもじゃもじゃを連れて家を出た。もじゃもじゃは「前へ!前へ!」と大張り切り。言葉は優しく、態度は厳しく、緑の道をたどって、パン屋へ。テラスでおのおの好きなパンとコーヒーの朝食をとる。
もじゃもじゃは、背中に幸せとウンコとシッコといたずらを背負ってきた。
今日、あたしは頭痛にうめいている。傍らには散歩でくたびれきったもじゃもじゃが、心配そうに寄り添っている。朝なのにもうギブアップ。
もじゃもじゃは、背中に幸せとウンコとシッコといたずらを背負ってきた。
今日、あたしは頭痛にうめいている。傍らには散歩でくたびれきったもじゃもじゃが、心配そうに寄り添っている。朝なのにもうギブアップ。
もじゃもじゃしたやつ
2007年4月6日コメント (3)ベランダの白い手すりに黄色い砂。毎朝洗濯物を干しながら、工藤静香の「黄砂にふかれて」をハミングしてしまうのはあたしだけ?
なんだかリアルな夢を見ているように日々が過ぎていく。あたしが招き入れたのか、向こうが飛び込んできたのか。もうじきあたしの生活の中に、もじゃもじゃしたやつがやってくる。
なんだかリアルな夢を見ているように日々が過ぎていく。あたしが招き入れたのか、向こうが飛び込んできたのか。もうじきあたしの生活の中に、もじゃもじゃしたやつがやってくる。
紺地の錦鯉
2007年4月5日新しい年度の始まり。朝、子どもたちを見送った後、顔見知りの母親たちと井戸端会議する。女たちの会話はたやすくワープする。ワープを繰り返し繰り返しするものの、ゴールは見えない。愚痴、うわさ話、得々情報、グルメ、腕利きの医者、困った病気など、キリがない。そんなとりとめのないおしゃべりはきらいじゃない。結構おもしろいし、結構ためになるから。
でも今朝はもうタイムアップ。なんとか長なので入学式に出席しなくては。そう言ってるのになかなか解散しないので…
今から〜肌色のストッキングをはくためにすね毛剃って〜
それからね〜スーツを選ばなくてはならないの。
ひとつはね、無難なチャコールグレーのシンプルなスーツ。
もうひとつのスーツには名前があるんだよ、通称「ニシキゴイ」。
紺のベルベット生地に金糸で地模様のような刺繍があってね、
まるで紺のニシキゴイみたいなのよ。
どっちにしようかなぁってまだ迷ってんの。
一同大爆笑。
是非紺色のヤツを!と、みんな元気に手を振って解散していった。
どうしていつも大笑いしないと帰っていかないんだろう、みんな。
あたしは帰ってからすね毛は放っておいて、迷わずグレイのパンツスーツを着て出かけた。紺のスーツを見に来た何人か(わざわざ来た!)に裏切り者のそしりを受けながら。
でも今朝はもうタイムアップ。なんとか長なので入学式に出席しなくては。そう言ってるのになかなか解散しないので…
今から〜肌色のストッキングをはくためにすね毛剃って〜
それからね〜スーツを選ばなくてはならないの。
ひとつはね、無難なチャコールグレーのシンプルなスーツ。
もうひとつのスーツには名前があるんだよ、通称「ニシキゴイ」。
紺のベルベット生地に金糸で地模様のような刺繍があってね、
まるで紺のニシキゴイみたいなのよ。
どっちにしようかなぁってまだ迷ってんの。
一同大爆笑。
是非紺色のヤツを!と、みんな元気に手を振って解散していった。
どうしていつも大笑いしないと帰っていかないんだろう、みんな。
あたしは帰ってからすね毛は放っておいて、迷わずグレイのパンツスーツを着て出かけた。紺のスーツを見に来た何人か(わざわざ来た!)に裏切り者のそしりを受けながら。
ラチエン通りのシスターズ
2007年4月3日春休みも明日でおしまい。いつもより生活メトロノームの速度を落として暮らしていた。先日、海沿いの町に住む人を訪ねた。目的の駅にたどり着き、タクシーに乗り込む。運転手に地図を渡したところまでは順調。しかし年配のドライバーはカーナビの使い方を知らないらしい。後部席から手助けしたい気持ちを抑えつつ黙って見守る。地図に釘付けの彼は、走行中とんでもない真似をする。むすめたちはひとことも口を利かず、緊張の面持ち。
見慣れぬ町並みをタクシーは頼りなげに進んでいく。ふと目にした街灯に「ラチエン通り」という表示が。頭の中に例の歌が再生される。運転手よ、道を間違えるがいい、と思った。通り過ぎるだけだった土地を初めて観光している。住宅地の中にポツリポツリと素敵な店。かと思えば昔ながらの魚屋さんも。キョロキョロしているうちになんとか到着。驚きの料金になっている。いくら請求する気だろうかと心の中で成り行きを楽しんでいた。すんなり走ったらもう少し安かったかもなぁという金額をおもねるように提案。快く支払い、むすめたちと「ありがとうございました」とお礼を言って車を降りる。もしも後味悪いなぁって感じたならば、ナビゲーターの使い方をもうちょいと勉強してください。
素敵な夫婦と語らった後、犬を連れて海岸を散歩する。相変わらず体調の悪い次女は、どんなに歩いても泣き言を言わない。犬がこわいはずの末娘は、ラブラドールの背中に手を置いて、小鼻を拡げ元気よく歩く。三女は全身から「また連れてきてください!」というオーラ全開。この子はいつもそう。まだこの場所にいるというのに、立ち去ってもいないのに、いつも次の心配をする「また来られる?」。
様々な人が人生を横切っていく。様々な人の人生を横切っていく。色とりどりの模様が織物に編み込まれていく。この模様を間近ではなく、客観的に少々離れて見ることができるんなら、もしかしたら美しいのかもしれないが。
見慣れぬ町並みをタクシーは頼りなげに進んでいく。ふと目にした街灯に「ラチエン通り」という表示が。頭の中に例の歌が再生される。運転手よ、道を間違えるがいい、と思った。通り過ぎるだけだった土地を初めて観光している。住宅地の中にポツリポツリと素敵な店。かと思えば昔ながらの魚屋さんも。キョロキョロしているうちになんとか到着。驚きの料金になっている。いくら請求する気だろうかと心の中で成り行きを楽しんでいた。すんなり走ったらもう少し安かったかもなぁという金額をおもねるように提案。快く支払い、むすめたちと「ありがとうございました」とお礼を言って車を降りる。もしも後味悪いなぁって感じたならば、ナビゲーターの使い方をもうちょいと勉強してください。
素敵な夫婦と語らった後、犬を連れて海岸を散歩する。相変わらず体調の悪い次女は、どんなに歩いても泣き言を言わない。犬がこわいはずの末娘は、ラブラドールの背中に手を置いて、小鼻を拡げ元気よく歩く。三女は全身から「また連れてきてください!」というオーラ全開。この子はいつもそう。まだこの場所にいるというのに、立ち去ってもいないのに、いつも次の心配をする「また来られる?」。
様々な人が人生を横切っていく。様々な人の人生を横切っていく。色とりどりの模様が織物に編み込まれていく。この模様を間近ではなく、客観的に少々離れて見ることができるんなら、もしかしたら美しいのかもしれないが。
ここで死なないで
2007年3月30日ここのところ暖かい(暑い)日が続いた。あたしもむすめたちも半袖のTシャツを引っ張り出して着た。ちりちりと腕をひそかに焦がす太陽。
ベランダにある木のプランターにのそのそよじ登るゴキブリ、ツユちゃんにそっくりな片足のないツユムシ、灰色で寝ぼけた感じのヤモリ。
窓一枚向こうの住人たちは、あたしの生活と関係ない。どんなに大きなゴキブリだからってやっつけない。ツユちゃんだからってもう水槽にいれたりしない。ヤモリさんはプランターを持ち上げた際に現れたので、驚かせすぎたのか死んだふりを長いことしていた(こっちだってものすごく驚いたよ!)。
ゴキブリは今朝見たら死んでいた。多分どこかで薬剤でもくらって逃げ出してきたんだろう。ツユちゃんも生きているがあまり動かない。もしかしたら死ぬ気かも。ヤモリくんは…どうしただろう。あそこの裏にまだいるんだろうか。冬眠から起きるのが早すぎたんじゃないのか。
あたしのベランダで死なないで。
ベランダにある木のプランターにのそのそよじ登るゴキブリ、ツユちゃんにそっくりな片足のないツユムシ、灰色で寝ぼけた感じのヤモリ。
窓一枚向こうの住人たちは、あたしの生活と関係ない。どんなに大きなゴキブリだからってやっつけない。ツユちゃんだからってもう水槽にいれたりしない。ヤモリさんはプランターを持ち上げた際に現れたので、驚かせすぎたのか死んだふりを長いことしていた(こっちだってものすごく驚いたよ!)。
ゴキブリは今朝見たら死んでいた。多分どこかで薬剤でもくらって逃げ出してきたんだろう。ツユちゃんも生きているがあまり動かない。もしかしたら死ぬ気かも。ヤモリくんは…どうしただろう。あそこの裏にまだいるんだろうか。冬眠から起きるのが早すぎたんじゃないのか。
あたしのベランダで死なないで。
時限爆弾発動
2007年3月29日卒業以降、だらだら生活の長女。のびのびになっていた免許の申請をしなければならない。必要な書類を集めて、窓口に提出して…。
必要な書類の中に「戸籍抄本」があった。戸籍抄本って、彼女の出自が細かく記されているものだっただろうか。あたしが取りに行こうか。いや、18才にもなってそんなことまで親がやっていてはいけない。あたしが歯医者に行っている間に取りに行ってきなね、と言い置いて出かける。
帰宅後、しばらくして長女が帰ってくる。半笑いで「母さん、これ、誰ですか」。あぁついにバレた。実の父の氏名、養子の文字。
よく「18才になったら真実を告げる」とかいうことを聞く。あたしも考えないではなかったが、絶対に18才になったら話そうなんて思ってはいなかった。いつか自然に話す日が来るとは思っていたけれど、長女18才の今日だとは思ってもみなかった。
でもあたしとむすめの間に埋まっていた爆弾は時限爆弾で、不発弾ではなかったんだなぁ。かいつまんで実の父はもう死んでしまったこと、死因は不明だったこと、顔がそっくりだということ、いつも君のようにイラストばかり描いていたこと、など話す。この先、詳しいことは求められるままに話していくつもり。
今日この日、互いに穏やかな気持ちだ、そう、妙に。
必要な書類の中に「戸籍抄本」があった。戸籍抄本って、彼女の出自が細かく記されているものだっただろうか。あたしが取りに行こうか。いや、18才にもなってそんなことまで親がやっていてはいけない。あたしが歯医者に行っている間に取りに行ってきなね、と言い置いて出かける。
帰宅後、しばらくして長女が帰ってくる。半笑いで「母さん、これ、誰ですか」。あぁついにバレた。実の父の氏名、養子の文字。
よく「18才になったら真実を告げる」とかいうことを聞く。あたしも考えないではなかったが、絶対に18才になったら話そうなんて思ってはいなかった。いつか自然に話す日が来るとは思っていたけれど、長女18才の今日だとは思ってもみなかった。
でもあたしとむすめの間に埋まっていた爆弾は時限爆弾で、不発弾ではなかったんだなぁ。かいつまんで実の父はもう死んでしまったこと、死因は不明だったこと、顔がそっくりだということ、いつも君のようにイラストばかり描いていたこと、など話す。この先、詳しいことは求められるままに話していくつもり。
今日この日、互いに穏やかな気持ちだ、そう、妙に。
神楽坂を見下ろしながら
2007年3月27日
所属する団体の行事に参加してきた。東京タワーやなんとか博物館をまわったあと、神楽坂を見下ろしながら一泊。最後かと思うと感慨深く、よい面がぐーっと胸にクローズアップされてくるが、やはり一区切りする。道を間違えぬように、人生の見張り番役にまわってもらおう。
またこれからもあっちにごっつんここっちにごっつんこしつつ、できる限り丁寧に暮らしてみるつもり。遠かったり近かったりはあるけれど、温かい目厳しい目がきっとあたしたち親子を見ていてくれるだろう、それを求めていさえすればきっと。
またこれからもあっちにごっつんここっちにごっつんこしつつ、できる限り丁寧に暮らしてみるつもり。遠かったり近かったりはあるけれど、温かい目厳しい目がきっとあたしたち親子を見ていてくれるだろう、それを求めていさえすればきっと。
元気なトラむすめたち
2007年3月25日コメント (2)弟家族に会いに出かけた。あたしんちのむすめ3人(長女はバイトのため不参加)と、弟のむすめ3人が動物園内を自由に走り回る。女は小さくても女、たった3人でもかしましいのに、こんなに集まったらもう大変。11才、10才、7才、5才、4才、2才半のどこか似た顔の6人は、椰子の木のまわりをぐるぐる回るトラのよう。
弟と奥さん、母とあたしは、時折顔を見合わせては苦笑。
ホテルに着いたら、今度はベッドの上でぴょんぴょんぴょん。レストランでもくすくす笑いがとまらないみなさん。一番小さなリオちゃんがおもらしをする。衣服を取り替えながらふと「あぁこの匂い…」。
一夜明けて今日、弟の子どもたちから懐かしい匂いがしていたねぇと母と話す。たいがい誰でも抱いた子どもの匂いは味わうもの。あたしも母も子どもを抱くことにおいては「百戦錬磨」なタイプ。多くの匂いを嗅いできたけれど、やっぱり血縁の匂いは格別な気がする。なんか安らぎを感じる。
弟と奥さん、母とあたしは、時折顔を見合わせては苦笑。
ホテルに着いたら、今度はベッドの上でぴょんぴょんぴょん。レストランでもくすくす笑いがとまらないみなさん。一番小さなリオちゃんがおもらしをする。衣服を取り替えながらふと「あぁこの匂い…」。
一夜明けて今日、弟の子どもたちから懐かしい匂いがしていたねぇと母と話す。たいがい誰でも抱いた子どもの匂いは味わうもの。あたしも母も子どもを抱くことにおいては「百戦錬磨」なタイプ。多くの匂いを嗅いできたけれど、やっぱり血縁の匂いは格別な気がする。なんか安らぎを感じる。
静かな土から寡黙な芽
2007年3月23日
1週間ちょっと前、むすめたちと一緒にホームセンターに遊びに行って、おのおのが好きな野菜のたねを買った。あたしは小ネギ、長女は青じそ、次女はオクラ、三女は枝豆、野菜がきらいな四女はいちごの苗。ベランダに面した窓辺に、れんがと板で台を作り、その上にペットボトルを利用した植木鉢を作って置き、種を蒔いた。6日の間、霧吹きで水をかけても、話しかけても、土はとても物静かでなんの変化もない。むすめたちは毎日そわそわとのぞき込むたびがっくり。でも7日目の日曜日、むっくりと枝豆の芽が顔を見せたのを最初に、どの種も期待に応えだした。
黙ってむくむく大きくなっていくのを観察していると理由なくうれしい。みんな生命力旺盛で、時間単位で違う顔を見せてくれる。いちごも次々に花を付け、むすめたちはミツバチになったつもりで受粉を手伝っている。
農園や緑深いところなどに遊びに行って憧れるだけ。お金がないから家を田舎に建てられない、畑が借りられないから野菜を作れない、庭が狭いから、虫がいっぱいだから、日当たりが悪いから、とか考えたらつまらない気持ちになる。頭先行だと本当に疲れちゃうけど、こんなことで心が安らかになるんなら、なんて簡単なんだろうとつくづく思う。簡単じゃなくてただの単純かも。
黙ってむくむく大きくなっていくのを観察していると理由なくうれしい。みんな生命力旺盛で、時間単位で違う顔を見せてくれる。いちごも次々に花を付け、むすめたちはミツバチになったつもりで受粉を手伝っている。
農園や緑深いところなどに遊びに行って憧れるだけ。お金がないから家を田舎に建てられない、畑が借りられないから野菜を作れない、庭が狭いから、虫がいっぱいだから、日当たりが悪いから、とか考えたらつまらない気持ちになる。頭先行だと本当に疲れちゃうけど、こんなことで心が安らかになるんなら、なんて簡単なんだろうとつくづく思う。簡単じゃなくてただの単純かも。
不要物は語る
2007年3月19日けだるい月曜日。何週間か誰かしらが体調を崩して家にいたので、ひとりになる時間がなかった。今日は久しぶりに誰をも気にすることなく過ごせる、3月最後の自由ないちにちなんだけどみょうにだるい。出かけずに大掃除の続きをやっつける日にしよう。
去年の年末にできなかった大掃除を細切れにやっている。捨てねばならないもののなんと多いことか。地球に悪い生物になりさがりゴミを分別する。安易な気持ちで物を買っちゃいけないなぁと反省しきり。
過去のあたしの生活の有り様、心の有り様が痛いほど思い出される。これを買ったときには「これがあれば便利」「これは素敵」と思いついて手を伸ばしたんだよね。理由なく買ったんじゃない、なにかしらこじつけはしていたわけだ。あるものでなんとかせずに、新しい別な物を手に入れて何かを解消しようとしていた。
人も物もだったかもしれない。
悲しいなぁ、イタイなぁ、あたし。不要物と語らいながら掃除する。
去年の年末にできなかった大掃除を細切れにやっている。捨てねばならないもののなんと多いことか。地球に悪い生物になりさがりゴミを分別する。安易な気持ちで物を買っちゃいけないなぁと反省しきり。
過去のあたしの生活の有り様、心の有り様が痛いほど思い出される。これを買ったときには「これがあれば便利」「これは素敵」と思いついて手を伸ばしたんだよね。理由なく買ったんじゃない、なにかしらこじつけはしていたわけだ。あるものでなんとかせずに、新しい別な物を手に入れて何かを解消しようとしていた。
人も物もだったかもしれない。
悲しいなぁ、イタイなぁ、あたし。不要物と語らいながら掃除する。
素晴らしき無駄
2007年3月18日待ち時間にひたすらしゃべるしゃべる。食べながら飲みながらもしゃべるしゃべる。そして知る。あなたがたはあたしを、あたしはあなたがたを、そして話し合ううちにあたしはまた自分を知る。夢中で話しながら時折頭の隅っこで、この素晴らしき無駄時間の幸福を想う。
橋の名が付く駅までの1時間、灰谷健次郎の「風の耳朶」を読む。説教くさい台詞の羅列が遺言に感じられて涙こらえながら読む。会ったことは一度もないけれど、灰谷健次郎はあたしの心を支えてくれた先生でありお父さんだ。亡くなっても変わらない。
実際の父には随分会っていない。近頃会いたいと思う回数が増えてきている。その回数と同じくらいの頻度で、最近いろんな物事がパズルのように、パチリパチリとあるべき場所に収まっていくのを感じる。もちろんそのままでいられるピースとそうでないピースとがあるんだけど。
橋の名が付く駅までの1時間、灰谷健次郎の「風の耳朶」を読む。説教くさい台詞の羅列が遺言に感じられて涙こらえながら読む。会ったことは一度もないけれど、灰谷健次郎はあたしの心を支えてくれた先生でありお父さんだ。亡くなっても変わらない。
実際の父には随分会っていない。近頃会いたいと思う回数が増えてきている。その回数と同じくらいの頻度で、最近いろんな物事がパズルのように、パチリパチリとあるべき場所に収まっていくのを感じる。もちろんそのままでいられるピースとそうでないピースとがあるんだけど。
B型の彼氏/チェ・ソグォン
2007年3月17日 映画
あたしはB型ですからね…話半分ね、という感じで鑑賞しましたが、隣でA型の娘が、B型に振り回される被害者に対し「ね!むかつくよね!B!」と熱く応援するのがうるさくて、この映画がおもしろかったのかそうでないのかわからなくなっちゃった。
黒い回転椅子
2007年3月16日二番目の娘が丸くて黒い回転椅子に座ったのは月曜日。胃腸が弱い体質なのか、これまでもしばしば登校前におなかを痛がっていた。もうじき生理が始まるだろうという前兆が体に現れているので、ホルモンのバランスが崩れているのかなと様子をみていたが、先月から不調を訴える回数が増えていた。ここ1〜2週間は風邪の影響もあってか、下痢を繰り返した。ちょっと「体の声にじっと耳を澄ませよう」というスタンスから、別の立ち位置に移動しないとだめかなぁと感じて、近所の小児科に行ってみた。
自分の判断に迷いが生じたときには訪ねる医者だった。でも「コホン」と咳をしただけで医者を頼るタイプのママを長女のときに卒業したので、赤ちゃん時代から11才の今まで世話になった回数はそう多くはない。
先生、この子、胃腸が弱いのか、よくおなかを痛がるんです。月に一度くらいはそれが原因で休むこともある。いつから…5年生になってからでしょうか。それが長く続くということもないので今まで対処してきたけれど、最近風邪なのか違う要因なのかよくわからなくて。この先どういう風に対処していくやり方があるのかご相談してみたくて。
先生はいきなり怒り出した。
そんな! そんな前からのことを今日一日でどうしたらいいかなんかわからない! とりあえず血液と尿の検査をするよ!(おなかを触診して)さわった感じはとくに緊急事態という感じはしないけど、結果が出るまでなんの薬も出せないし。心的なものだったら他の機関を紹介するよ。うちでは診きれないから。検査結果が引っかかるようなら他の大きな病院に行ってもらうよ!
うわぁ、きた、と思った。あたしはすごくいい小児科の先生を知っているんだけど、家から車で約40分かかる場所にあり、他の娘も家に置いてきているので、近場でとりあえずとこの個人医院にやってきた。この医者に求めることは、最初のスクリーニングテスト、目に見える検査結果を確認して、できれば先生の「大丈夫!」というお墨付きをもらい、次女が安心して自分の体と向き合うこと。あたしが確信を持ってこの子に対し甘く厳しく対応できる根拠。
でもい言い方が悪かったのか、先生は責任を押しつけられたり、自分の子どもの体のことを丸投げにして寄越すタイプのお母さんが全身で頼ってきたと思ってしまったらしかった。少し会話すると落ち着いて穏やかな口調に戻ったけれど、あたしは内心しょんぼりだった。
数日おいて昨日、検査結果を告げる場面で先生は、とてもうれしそうに「あなたの体はなんにも悪くありません。全て順調。貧血も炎症反応もホラなーんともなし。ついでに血液型を調べてなかったっていってたね。わかったんだけど聞きたい?…何型がいい? じゃ〜ん!B型でした〜!」。万事OK!といった様子で明るく娘を診察室から送り出してくれたのだった。次女の表情も和らいでおり、恥ずかしそうに照れ笑いしていた。
自分なりの情報網があり、アプローチ法はもう考えてあったので、この先を先生には求めなかったが、もしも求めたら先生はなんと言っただろう。事実、検査の結果はクリアであっても、次女の腹痛も不調も治っていないのだ。でも一応目的は達成。自分の体もむすめたちの体も、一番大事に思えるのは身近な者。医者ではない。お医者さんの役目は今回くらいのクールさがあっていい。突きつけられるもんね、判断はしてあげる、でもさじ加減は自分でせよ、と。それと先生は少ない会話の中から、あたしが全面的に先生を頼らないということも素早く判断したんだろう。
自分の判断に迷いが生じたときには訪ねる医者だった。でも「コホン」と咳をしただけで医者を頼るタイプのママを長女のときに卒業したので、赤ちゃん時代から11才の今まで世話になった回数はそう多くはない。
先生、この子、胃腸が弱いのか、よくおなかを痛がるんです。月に一度くらいはそれが原因で休むこともある。いつから…5年生になってからでしょうか。それが長く続くということもないので今まで対処してきたけれど、最近風邪なのか違う要因なのかよくわからなくて。この先どういう風に対処していくやり方があるのかご相談してみたくて。
先生はいきなり怒り出した。
そんな! そんな前からのことを今日一日でどうしたらいいかなんかわからない! とりあえず血液と尿の検査をするよ!(おなかを触診して)さわった感じはとくに緊急事態という感じはしないけど、結果が出るまでなんの薬も出せないし。心的なものだったら他の機関を紹介するよ。うちでは診きれないから。検査結果が引っかかるようなら他の大きな病院に行ってもらうよ!
うわぁ、きた、と思った。あたしはすごくいい小児科の先生を知っているんだけど、家から車で約40分かかる場所にあり、他の娘も家に置いてきているので、近場でとりあえずとこの個人医院にやってきた。この医者に求めることは、最初のスクリーニングテスト、目に見える検査結果を確認して、できれば先生の「大丈夫!」というお墨付きをもらい、次女が安心して自分の体と向き合うこと。あたしが確信を持ってこの子に対し甘く厳しく対応できる根拠。
でもい言い方が悪かったのか、先生は責任を押しつけられたり、自分の子どもの体のことを丸投げにして寄越すタイプのお母さんが全身で頼ってきたと思ってしまったらしかった。少し会話すると落ち着いて穏やかな口調に戻ったけれど、あたしは内心しょんぼりだった。
数日おいて昨日、検査結果を告げる場面で先生は、とてもうれしそうに「あなたの体はなんにも悪くありません。全て順調。貧血も炎症反応もホラなーんともなし。ついでに血液型を調べてなかったっていってたね。わかったんだけど聞きたい?…何型がいい? じゃ〜ん!B型でした〜!」。万事OK!といった様子で明るく娘を診察室から送り出してくれたのだった。次女の表情も和らいでおり、恥ずかしそうに照れ笑いしていた。
自分なりの情報網があり、アプローチ法はもう考えてあったので、この先を先生には求めなかったが、もしも求めたら先生はなんと言っただろう。事実、検査の結果はクリアであっても、次女の腹痛も不調も治っていないのだ。でも一応目的は達成。自分の体もむすめたちの体も、一番大事に思えるのは身近な者。医者ではない。お医者さんの役目は今回くらいのクールさがあっていい。突きつけられるもんね、判断はしてあげる、でもさじ加減は自分でせよ、と。それと先生は少ない会話の中から、あたしが全面的に先生を頼らないということも素早く判断したんだろう。
ふたたびのソファ
2007年3月15日先生(カウンセラー)は50〜60代の女性で、体にはみっしりと肉がついていて、初対面の第一印象はもの柔らかでやさしそうな人。でも接する時間が増すにつれ、優しいだけの人ではないとわかった。
あたしのむすめたちが通う小学校に6年前、出張相談室という部屋ができて、そこの相談員として遣わされてきた。あたしが広報誌の取材でその部屋を訪れたのは着任して4年目の頃のこと。今から2年前だ。ここ最近の子どもたちについて学校について親について先生について、話すことのできる範囲内で思うところを話していただき、3ページのインタビュー形式記事にした。
作り上げていく過程の中で「余計な会話」も生まれ、あたしは泣かされてしまったことがある。長女のことだ。場の空気が読めず、同世代の集団の中に入ると浮いてしまう彼女。あたしは自分を責め、ある時は逃げ、ある時は長女を責めた。誰かの手や智恵を体中で欲していたが、踏み出せないままやり過ごしてしまったことへの深い後悔。
「あたしはやってあげられませんでした」「あたしは逃げていました」「なにをしてあげられたのでしょうか」「今からでも間に合うことはあるんでしょうか」。
答えは「そんなことを本当にむすめさんは求めていたのかしら。子どもというのは辛かったことを受け止めて心込めて”つらかったねぇ”と言ってもらえるだけで満足する場合がほとんど。そうして”あげたかった”のは誰かしら。”してあげて”満足するのは誰かしら。誰なのかしら。
「あたし」。…娘じゃなかった。
優しいはずの先生はこのとき大変に厳しかった。
あれから2年。今週の火曜日、あたしはふたたびまたあのソファに座った。あたしの娘と同伴の彼女の娘は、暴れん坊の男子と毎日戦っている。力の加減をしない困った君に、もはや我慢の限界を訴えるあたしたちの娘たち。
彼女の訴えは「誰かなんとかして。学校の責任を全うして。誰かに対策をとらせなくちゃ!」。
先生は気がついただろうか。あたしが彼女を伴って行ったことの意味。あたしは少々演技が下手だったかも。もしかしたら一緒に駆け込んだつもりの彼女は「???」に包まれて帰っていったかも。でもね、このトラブルの時も思ったの。いい悪い、正しい間違いで割り切れることなんかないなぁって。この諍いを自力でプラスにかえられたら初めて、あたしらの娘は成長できることだろう。あたしたちにできることは、それを乗り越えられる力を与え続ける創意工夫努力。それはすごくしんどい時もあるけど。だってごく普通の人間の母さんだもんね。あたしたちは仏様じゃない。
あたしのむすめたちが通う小学校に6年前、出張相談室という部屋ができて、そこの相談員として遣わされてきた。あたしが広報誌の取材でその部屋を訪れたのは着任して4年目の頃のこと。今から2年前だ。ここ最近の子どもたちについて学校について親について先生について、話すことのできる範囲内で思うところを話していただき、3ページのインタビュー形式記事にした。
作り上げていく過程の中で「余計な会話」も生まれ、あたしは泣かされてしまったことがある。長女のことだ。場の空気が読めず、同世代の集団の中に入ると浮いてしまう彼女。あたしは自分を責め、ある時は逃げ、ある時は長女を責めた。誰かの手や智恵を体中で欲していたが、踏み出せないままやり過ごしてしまったことへの深い後悔。
「あたしはやってあげられませんでした」「あたしは逃げていました」「なにをしてあげられたのでしょうか」「今からでも間に合うことはあるんでしょうか」。
答えは「そんなことを本当にむすめさんは求めていたのかしら。子どもというのは辛かったことを受け止めて心込めて”つらかったねぇ”と言ってもらえるだけで満足する場合がほとんど。そうして”あげたかった”のは誰かしら。”してあげて”満足するのは誰かしら。誰なのかしら。
「あたし」。…娘じゃなかった。
優しいはずの先生はこのとき大変に厳しかった。
あれから2年。今週の火曜日、あたしはふたたびまたあのソファに座った。あたしの娘と同伴の彼女の娘は、暴れん坊の男子と毎日戦っている。力の加減をしない困った君に、もはや我慢の限界を訴えるあたしたちの娘たち。
彼女の訴えは「誰かなんとかして。学校の責任を全うして。誰かに対策をとらせなくちゃ!」。
先生は気がついただろうか。あたしが彼女を伴って行ったことの意味。あたしは少々演技が下手だったかも。もしかしたら一緒に駆け込んだつもりの彼女は「???」に包まれて帰っていったかも。でもね、このトラブルの時も思ったの。いい悪い、正しい間違いで割り切れることなんかないなぁって。この諍いを自力でプラスにかえられたら初めて、あたしらの娘は成長できることだろう。あたしたちにできることは、それを乗り越えられる力を与え続ける創意工夫努力。それはすごくしんどい時もあるけど。だってごく普通の人間の母さんだもんね。あたしたちは仏様じゃない。
謎かけのしっぽ
2007年3月14日時期、なんだろうか。対話の中身が濃い。ママ友とちょっとした遊び場があるマクドナルドのベンチに座っていても、先日思い出していたカウンセラーの真向かいのソファに座っていても、むすめたちと一緒にこたつで温もっていても、友と沖縄料理をつまみつつサワーを飲んでいても、初対面の方と小学校の花壇の縁に座っていても、長年心の支えである方に別れ際爆弾を落としても、綿菓子で顔や手をベタベタにするむすめたちを眺めつつ、いつものように楽器を背負ったあの方の隣にいても、あたしの心は謎かけのしっぽを追いかけ回し、時々はそれにふれたかもと思う瞬間がある。
でもしっぽの持ち主の逃げ足は速く、またするりと逃げだして、あたしはまた考え込む。
昨日の夕方、すぐ目の前で黒いネコが車の前に飛び出した。
むすめたちとあたしは「きゃあっ!」と悲鳴を上げた。本当に本当の危機一髪、ネコは無事だった。車道から3〜4メートル離れた場所にネコは立ち止まって、頭を回して自分が死ぬはずだった場所を1分間くらいぼーっと振り返っていた。あの子、なにを思っていたのか。
でもしっぽの持ち主の逃げ足は速く、またするりと逃げだして、あたしはまた考え込む。
昨日の夕方、すぐ目の前で黒いネコが車の前に飛び出した。
むすめたちとあたしは「きゃあっ!」と悲鳴を上げた。本当に本当の危機一髪、ネコは無事だった。車道から3〜4メートル離れた場所にネコは立ち止まって、頭を回して自分が死ぬはずだった場所を1分間くらいぼーっと振り返っていた。あの子、なにを思っていたのか。
落ち着いて
2007年3月11日進路を変えると表明してから「ちょっと待って」という声を掛けられること多数。複雑な心境。きっと誰もがそんな気持ちになるんだろうなぁ。なんと書けばいいのか思いあぐねてメールに返事ができないでいる。
むすめたちを連れてサークルの演奏会へ行ってきた。メンバーの合奏を聴き、体験させてもらい、一緒にお昼ごはんを食べた。穏やかな時が流れる。むすめたちが甘いものをほおばる横で、あたしは尊敬する方の隣に立ち、ぽつりぽつりと話する。
落ち着いて落ち着いて日々を暮らそう。落ち着いてる場合じゃない状況の中で落ち着いて暮らそう。だって焦ってもがいても落ち着いていても結果は大して変わらない気がするんだもの。
むすめたちを連れてサークルの演奏会へ行ってきた。メンバーの合奏を聴き、体験させてもらい、一緒にお昼ごはんを食べた。穏やかな時が流れる。むすめたちが甘いものをほおばる横で、あたしは尊敬する方の隣に立ち、ぽつりぽつりと話する。
落ち着いて落ち着いて日々を暮らそう。落ち着いてる場合じゃない状況の中で落ち着いて暮らそう。だって焦ってもがいても落ち着いていても結果は大して変わらない気がするんだもの。