今年もあと残り僅か。「あっ!という間」だ。本当に。本も読んでないなぁ、映画も観てないなぁ、ハリーの前売りチケットも買ってあるのに。耳だけは空いてるから、音はよく聴いているけど、恥ずかしくて人に言えないような音楽ばっかりだ。
あと何日ある?2005年は?なにをしよう?どう動こう?それともできるだけじっとしている?なにが大切?どうすれば納得できる? 自分に、自分に。
あと何日ある?2005年は?なにをしよう?どう動こう?それともできるだけじっとしている?なにが大切?どうすれば納得できる? 自分に、自分に。
「音楽」
2005年12月17日
音楽は、超能力、呪文、良薬、ドラッグ、おもちゃ、武器、冷房、暖房、苦悩、歓び。直接触れずとも、時代を越え、国を越え、種族を越え、男女を越え、頭蓋を越え、相手を包み込む…「音楽」は…なんでしょうね…なんのイメージかな…難しいな…
アプローチ
2005年12月15日
ある夜中、ジムにおける異性へのアプローチ法について、語り合う。
「やっぱりトレーニングばっかりだと誰ともしゃべらないし、女の人とも知り合えないよ。だからエアロビに行きたいんだよ、俺」
「……ねぇ、エアロビクスしてるあんたは魅力的だとは……」
「いや、しゃべるきっかけになれば」
「いや、あんたはカラダじゃなくココロを売り物にしろ」
「……。」
「会社、あるいは取引先、これしかない」
「……。」
明日の夜は満月です。今年最後の満月。クリスマスもあるし、今月末には誕生日もある。奇跡があるといいね。
「やっぱりトレーニングばっかりだと誰ともしゃべらないし、女の人とも知り合えないよ。だからエアロビに行きたいんだよ、俺」
「……ねぇ、エアロビクスしてるあんたは魅力的だとは……」
「いや、しゃべるきっかけになれば」
「いや、あんたはカラダじゃなくココロを売り物にしろ」
「……。」
「会社、あるいは取引先、これしかない」
「……。」
明日の夜は満月です。今年最後の満月。クリスマスもあるし、今月末には誕生日もある。奇跡があるといいね。
かがやき
2005年12月15日
本当にかわいらしい。陽に透ける、髪の、皮膚のかがやき。瞳のかがやき。知人のお子さん。立場的に全くの「無責任」であるがゆえ、余計にかわいいのよね。眺めて、ふれて、抱いて、からかって、笑わせて、そのあと彼は困ったことがあるとお母さんの胸に帰っていく。安心しきったその表情、お母さんから滲み出ている無私の愛情。いいねぇ、愛に満ち溢れた世界。みているこちらも溶ろけそう。
いやなのよ、いやなの。家の中でアースシェイカーの「MORE」が流行ってるの。あたしは4人の娘の母だし「孤独」とか「ナイフ」とか関係ないのに、ふと気がつくと正確にこの歌を口ずさんでる。長女よりも正確に、ためらわず次の歌詞が口をついて出る。ホントいやだわ。
長女はエレキギターが大好き。DEEP PURPLE とかヴァン・ヘイレンとか、カーリーな髪の毛をしてピッタピタのパンツを履いて、股間がもっこりしてるような…そんなアーティストが大好き。
かつて、わたしが十代の頃、周りにはそんな人々ばっかりで、散々そういう音楽を聴かされたもんだったけど、また今同じ音楽に取り囲まれてしまうとは。取り憑かれたように「Highway star」をヘヴィーローテーションする長女に、王様の「深紫伝説」を買い与える。超和訳ロックを聞けば、ちょっと我に返るかと思って。でも失敗。小学生の娘も4才の末っ子もみんな正確に「Highway star」を「高速道路の星」として口ずさむようになってしまった。家中に「う〜ん 最高 言うことなしだぜ〜♪」とか「愛してる!必要だ!抱いてやる〜♪」のフレーズがあふれてる。
かつて、わたしが十代の頃、周りにはそんな人々ばっかりで、散々そういう音楽を聴かされたもんだったけど、また今同じ音楽に取り囲まれてしまうとは。取り憑かれたように「Highway star」をヘヴィーローテーションする長女に、王様の「深紫伝説」を買い与える。超和訳ロックを聞けば、ちょっと我に返るかと思って。でも失敗。小学生の娘も4才の末っ子もみんな正確に「Highway star」を「高速道路の星」として口ずさむようになってしまった。家中に「う〜ん 最高 言うことなしだぜ〜♪」とか「愛してる!必要だ!抱いてやる〜♪」のフレーズがあふれてる。
苦しみ
2005年12月7日
理解しようとしてもできず、苦しむ人。
なんとかどうにか添おうとして足掻き、苦しむ人。
残念、残念。
わたしも苦しい。でも前進あるのみ。
執着を捨てて、卒業の準備をして、
新しい形を作っていきましょう。
悪びれず、目をふさがず、ありのままで。
思うほうへ、苦しくとも思うほうへ。
こんなところ、もう読みに来るのはやめなね。
意味がないんだから、ね。
なんとかどうにか添おうとして足掻き、苦しむ人。
残念、残念。
わたしも苦しい。でも前進あるのみ。
執着を捨てて、卒業の準備をして、
新しい形を作っていきましょう。
悪びれず、目をふさがず、ありのままで。
思うほうへ、苦しくとも思うほうへ。
こんなところ、もう読みに来るのはやめなね。
意味がないんだから、ね。
Cappuccino
2005年12月7日
シフォンケーキのいいところは、いろんなバリエーションを楽しめるところ。昨日はココアとカプチーノを。ココアはふくらみ方がイマイチ。それになんだか物足りない。しっとりとした感じがなく、パサパサしてるみたい。今度はチョコに挑戦しよう。きっと今日もなにか焼こうと持ちかけられるに違いない。でもこんなことばかりやってちゃよくないのに違いない。 だって太るよ! むすめたちはやせっぽちだからいいけど、わたしはダメなんだってば。
シフォンケーキ
2005年12月6日
シフォンケーキって作るのが難しいのかと思っていたけど、とっても簡単。最初にゆず味を焼いたら、あっという間に子どもたちに食べられてしまって自分の口に入らなかった。よし今度は自分のためにと思って緑茶味を焼いたのに、これまたあっという間になくなってしまった。3個目のアールグレイティー味が焼き上がって、ようやく落ち着いて食べられた。ふわふわで軽くって、いくらでも食べられちゃう。全くなにをやっているんだか。でもまぁいいでしょう、ゆにぞん家は女の園ですから。おいしい焼き菓子を食べて舌を肥やすことは、女にとっては悪いことじゃないと思う、きっと。パティシエになろうか、父親と同じGデザイナーになろうか、将来を決めかねている長女は、昨日有名洋菓子店でアルバイトすることが決まった。どの道を選ぼうがまぁいい、切磋琢磨しあっていこう。
甘酒
2005年12月5日
甘酒のおいしい季節になりました。試行錯誤してきたけれど、どうやら「これだよ!これ!」というレシピが完成。ザラザラの舌触りキライ、ブツブツの舌触りキライ、甘すぎるのキライ、酒粕分が少ないうすいのキライ、ショウガ大好き、まろやかな味わい大好き。よって中身は「酒粕・ショウガ・ハチミツ・牛乳・水」。問題はこれをどのような順番で、どのような配合で、溶かしたり煮立てたり仕上げに入れたりするか。それが今までどうもしっくりこなかったんだけど、今日の作り方でようやく満足。
まず酒粕を千切って鍋に入れ、ひたひたよりちょっと多いかな、という量の水を注ぎ、ショウガのすり下ろしを入れて火にかける。酒粕のかたまりをつぶすようにしながら少しの時間煮立てる。煮立ったらあまり長く加熱せず火を止め、茶こしを通しながらカップの7分目まで注ぐ。その中に好みの量のハチミツを溶かし、仕上げに牛乳を好きな温度になるように加えて出来上がり。牛乳とハチミツとショウガのハーモニーが絶妙です。マメな人、ヒマな人、もの好きな人、また風邪をひきかけの人、お試しあれ。
まず酒粕を千切って鍋に入れ、ひたひたよりちょっと多いかな、という量の水を注ぎ、ショウガのすり下ろしを入れて火にかける。酒粕のかたまりをつぶすようにしながら少しの時間煮立てる。煮立ったらあまり長く加熱せず火を止め、茶こしを通しながらカップの7分目まで注ぐ。その中に好みの量のハチミツを溶かし、仕上げに牛乳を好きな温度になるように加えて出来上がり。牛乳とハチミツとショウガのハーモニーが絶妙です。マメな人、ヒマな人、もの好きな人、また風邪をひきかけの人、お試しあれ。
warakasu
2005年12月4日
二胡を始めて5ヶ月が経つ。自分のペースを守りよく練習してきたなぁと思う。サークルのみんなと一緒に小さな発表会を持ったんだけど、わかりやすいありがちな失敗にお客さんは大笑い。師曰く「音楽で人の笑いを取れたんだから最高じゃないか」。いやいや先生それは違う、わたしは笑いをとるために二胡を弾いてるんじゃないのに。くぅ。でも得てして人はそうか? 一生懸命さが時にきらめきになり、時に滑稽なんだろなぁ。夏にゆずってもらった二胡がだめになった。先生にさじを投げられた。さて。どのようにして一生の友だちを手に入れようか。
Kick back する灯火
2005年12月1日
今日は、誰よりもてっとり早く日常生活にわたしを送り返してくれるだろう人に会いに行った。厳しく甘く強くて辛い手強い人。わたしが悩んだとき、落ち込んだとき、必要なのは、厳しく優しい人だ。自分で考えなさいと目の奥で諭す人。
贅を尽くした喫茶店で、わたしはその人の存在を味わうだけ味わって、核心に触れず、余計なことを考えずに声に耳を澄ませ…。つまり甘えに行った。わがままに黙り込んで甘えさせてもらって、わたしの生きるべき生活に蹴り返してもらった。長いこと遠くで消えないでいる灯火に。
わたしは灯火のまたたきを揺らすことはない。そのひかりを、炎のあたたかさを味わい、そうだな、恩を返せるときがあるとしたら、燃料をいつかは注いだりさせてもらおう、ほんのちょっと、すべてがまたうまく回る程度に。そうさせてもらおう、いつかはね。
贅を尽くした喫茶店で、わたしはその人の存在を味わうだけ味わって、核心に触れず、余計なことを考えずに声に耳を澄ませ…。つまり甘えに行った。わがままに黙り込んで甘えさせてもらって、わたしの生きるべき生活に蹴り返してもらった。長いこと遠くで消えないでいる灯火に。
わたしは灯火のまたたきを揺らすことはない。そのひかりを、炎のあたたかさを味わい、そうだな、恩を返せるときがあるとしたら、燃料をいつかは注いだりさせてもらおう、ほんのちょっと、すべてがまたうまく回る程度に。そうさせてもらおう、いつかはね。
農園にて
2005年11月30日
二胡のレッスンから農園に直行、リースを作る。暖かな陽だまりの中で、和やかに作る。みんなが末娘をからかって笑いが絶えない。土の上、草の間、空の下、やさしい人々、ティートリーの清潔な香り、そんなところに体を置けばいい。忙しくしていればいい。今どんな心をしているのか言わなくてもいい、そんなところへ体を運んでしばらく過ごそう。
揚子江
2005年11月30日
二胡のレッスン。母の知り合いの中国人の先生。何曲か聞いていただき、フォームを直していただく。そのあと日本の曲を少しと、それから名も知らぬ中国の曲を弾いて下さった。わたしを喜ばせたのは「サイマ」という競馬の様子を表したアクティブな曲で、わたしの胸を締め付けたのは「この曲悲しいね」と先生が言った、揚子江に関係する曲だ。夏からいるサークルでの活動もずっと続けていくけれど、わたしはこの先生についてみよう。「サイマ」をいつか弾きたい。
二胡を弾いている時間がどんなにわたしを救ってくれていることか。二胡を弾くという行為は、穏やかな癒しの表現だけではなく、激情、絶望、悲愴、歓喜、皮肉…さまざまな表現を必要とするものだ。知らなかった。先生の二胡は激しかった。知らなかった。穏やかな人かと思っていた。
二胡を弾いている時間がどんなにわたしを救ってくれていることか。二胡を弾くという行為は、穏やかな癒しの表現だけではなく、激情、絶望、悲愴、歓喜、皮肉…さまざまな表現を必要とするものだ。知らなかった。先生の二胡は激しかった。知らなかった。穏やかな人かと思っていた。